Merry Christmas ( 12.29 )
今年のクリスマスでは、Kさんの洗礼式が行われました。
私たちの教会では、こういう形で洗礼をおこないます。
これは、クリスマスイブのキャンドルサービスのあと、プレゼント交換をしているところです。
私は最近、夜寝ていて足が冷えるんですが、湯たんぽをいただきました。
ありがとうございました。
旅は道づれ ( 12.22 )
これらの人はみな、信仰をいだいて死んだ。まだ約束のものは受けていなかったが、はるかにそれを望み見て喜び、そして、地上では旅人であり寄留者であることを、自ら言いあらわした。そう言いあらわすことによって、彼らがふるさとを求めていることを示している。もしその出てきた所のことを考えていたなら、帰る機会はあったであろう。 しかし実際、彼らが望んでいたのは、もっと良い、天にあるふるさとであった。だから神は、彼らの神と呼ばれても、それを恥とはされなかった。事実、神は彼らのために、都を用意されていたのである。
新約聖書ヘブル11章13節以下(口語訳)
今年も12月。
あちこちでクリスマスソングが流れている。
クリスチャンになって49年、牧師になって35年も経ってしまった。
心の痛むこともあり、反省することがたくさんあった。
中学生の頃、畑で芋掘りをしていて夕方になり、西の空の沈む夕日を眺めながら、
「あと何年生きていられるだろう。
今は20世紀だけど、21世紀まで生き延びられるだろうか・・・」、と考えたことがある。
既に2013年、もうすぐ14年になろうとしている。
父は63才で亡くなったので、それに比べると長生きをしてしまったようだ。
「長生き=(イクオール)幸せ」とは思わないが、私の人生にはいつも誰かがいっしょにいて、歩んでいてくれるので、良かったと思う。
いちばんの同伴者はやはり、妻だろうか。
19才で結婚した若妻もことし高齢者の仲間入りをした。
孫が10人生まれ、孫たちからは「おばあちゃん、おばあちゃん」と呼ばれるので、最初の頃感じていた違和感もなくなり、すっかりおばあちゃんになってしまった。
しかしこんな者を、よくここまで忍んで、ついてきてくれたと思う。
子どもも同伴者だろう。
子育てをしていたあの頃は、必死だったように思うけれど、下の子どもが家を出てから14年経った。
子育てのことはすっかり忘れてしまったが、子どもたちが小さい頃の、楽しかった夢を時々見る。
子ども連れの家族を見ると、懐かしい思いがするが、今のふたりの気ままな毎日も捨てがたい。
ことしはふたりで車で、18日間かけて東北ボランティアに行ってきた。
子どもたちからは時々連絡があるので寂しい気持ちはない。
孫も同伴者だ。
中学生になった一番上の孫娘は、東北に2度いっしょに行ってくれた。
いっしょにいると孫たちから、その年代の子どもの考え方、言葉遣い、趣味などを学べる。
世代のギャップを感じるが、それもなかなかいいものである。孫はかわいい。
しかし現実は甘くない。
普通、女性の方が長生きだけれど、同窓生の中には妻に先立たれた者が何人もいる。
率直に「寂しい」と話してくれた友だちに、私にはかけることばがなかった。
いっしょにいても、人はいつか別れの時が来るのだ。私にも。
方丈記には、「ゆく川の流れは絶えずして、しかも元の水ずにあらず。よどみにうかぶうたかたはかつ消えかつ結びて、久しくとどまりたる試しなし、世の中にある人とすみかと又かくのごとし」とある。
そんなこの世に、いつでも変わらず、いっしょにいてくれる者はいるのか?
私はいると思う。その方は、イエス・キリストだと思う。
私が過ちをおかしても彼の手には赦しがあった。
交通事故で取り返しのつかない大切ないのちを失ったことがあり、自分にも責任があった。
その時、キリストが私の罪をすべて背負い、十字架にかかった、ということばで再び立ち上がることが出来た。
彼は、共にいて、共に喜び、共に悲しみ、やがてたどり着く天で、迎えてくださる。
冒頭の聖書には、「天のふるさと」と書いてあるが、そこは私たちがたどり着くゴールであり、またスタートでもあったのだ。
聖書の中には、「世界の始まる前からあなたがたを選び」という不思議な言葉があるが、私たちの人生はすべて、神さまのみ手の中にある、というのである。
子どもたちが大きくなり、願うような道を歩む子もいたが、独自の新しい道に進む子どももいた。
結婚して自分の城を築けば、当然ある距離が生まれる。
孫たちが成長するにつれて、これからは彼らの時代なのだと感じさせられる。
信頼していても、彼らがいつもそばにいてくれる訳ではない。
しかし、それでいいのだ。
私たちの人生は、やはり「旅」なのだと思う。
出会いがあり、しばらく共に過ごし、別れがある。
しかしそんな中にも、優しい同伴者がいてくださる。
神のみ子であるのに貧しい家畜小屋の中で生まれ、飼い葉桶の中に休まれたイエス・キリストは、インマヌエル(神、我らとともにいます)と呼ばれている。
感謝をもってこの年を締めくくり、この方と新しい年を始めたい。
クリスマスプレゼントを持って ( 12.18 )
12月9日から東北へ行っていました。
途中で福岡に寄り、博多教会でクリスマス集会をしました。
その後、ホテルに行く途中で、博多駅のこんな姿が目に飛び込んできましたよ。
きれいに飾り付けがしてあり、見事なイルミネーションです。
人がたくさん集まっていましたので、近づいてみると・・・。
ステージが用意してあって、どこかのグループが歌っていました。
クリスマスの歌もありましたよ。
さて、今回は4人のチームで気仙沼の仮設住宅にクリスマスプレゼントを持っていきました。
プレゼントと言っても、お米なんです。
仮設に入っていらっしゃる方の声ですが、やはりお米が一番うれしい・・・と。
仕入れたお米に、教会のシールを貼りました。
今回は、水梨地区の仮設住宅を訪問しました。
ここは、去年の夏、7人のチームで訪問したところです。
雨が降ってきて、寒かったですが、とりあえず第一回分が終了しました。
少し寒かったので、「麺八珍」というラーメン屋さんに行きました。
ここの「気仙沼つみれラーメン」です。
さんまのすり身がはいっていて、薄味でなかなかうまいんですよ。
その夜は、また印刷屋の阿部さんのお宅に夕食に招いていただきました。
ここも津波が来て、印刷機やパソコン、紙などが全部廃棄処分になったのです。
しかし、家族で力を合わせ、まわりの被災者のために、そして流された教会の働きを支え、大きな働きをしておられます。
この方は、一昨年のクリスマス、仮設訪問の時に知り合いになり、それ以来ずっと交流を続けている方たちです。
気仙沼港の近くで店を開いておられた、腕のいい散髪屋さんでした。
12月11日は「月命日」です。
震災から2年と9ヶ月目の月命日でした。
午前中に気仙沼第一聖書バプテスト教会の祈祷会があり、それに参加させていただきました。
うしろの若い男性は、先月洗礼を受けられたとか、良かったです。
午後は、南に下って南三陸の、阿部たみこさんを訪ねました。
阿部さんの住んでいたところは「長清水地区」といいます。
37戸の家があったそうですが、津波で3戸だけが残るという、甚大な被害を受けられました。
津波前の状況を写真で説明しておられるところです。
わたしは、NHKの仙台放送局の番組、「てれまさむね」にたみこさんが出演されたのを見ました。
ご夫婦で漁業をしておられましたが、津波以来海に出るのが怖くなったと・・・。
それで、何か自分に出来ることは・・・と考え、海産物のネット販売を始められたのです。
たみこさんのサイトは、ここをご覧ください。
水梨地区の仮設住宅訪問の2回目です。
この日は雪が降ってきてほんとうに寒かったです。
しかし、何軒もの家で、
「お茶っこしていきなさい」
と誘われました。
「仮設」住宅ですが、前向きにここでの生活を楽しくしよう、といろいろ工夫しておられる方に会いました。
この方も、「あがれ、あがれ」と誘ってくださいました。
ご自分で漬けられた白菜の漬け物は、絶品でした。
とてもとてもおいしかったです。
気仙沼の仮設商店街に建てられていたクリスマスツリー。
みなさまに神さまからの祝福が豊かにあり、将来に向けて道が開かれるように、祈りました。
帰りの道は、雪と氷でした。
ただ、南国で生きている私には、とても珍しい光景で、途中で止まって写真を撮りました。
どなたか、路面の凍結で道路からはみ出してしまった方がおられたようです。
初心者マークもついています。
大事故にならなくて、よかったですね。
空の鳥を見よ ( 11.30 )
きょう、朝は寒かったけれど、日が昇るにつれて暖かくなりました。
穴蔵のような書斎を出て、空を仰ぐと、太陽がさんさんと降り注いでいました。
十字架が輝いています。
輝いている十字架を撮ろうと、カメラを持ち出して写していると、教会の瓦の隙間をねぐらにしているスズメたちが出てきました。
ときどき、このスズメたちのさえずりで目を覚ますことがあります。
かわいいスズメたち、彼らも・・・そして私たちも神さまのみ手の中で、しっかり守られているのです。
こんな聖書のことばがあります。
空の鳥をよく見なさい。
種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。
あなたがたのうちだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。
なぜ、衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。
しかし、言っておく。
栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。
今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。
まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、信仰の薄い者たちよ。
だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。
それはみな、異邦人が切に求めているものだ。
あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。
何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。
そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。
だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。
明日は日曜日、教会の礼拝に行ってごらんになりませんか。
エデンの園、土曜学校 ( 11.28 )
宮崎市の西の方に国富町というのがあります。
そこに、キリスト教系の福祉施設「エデンの園」があります。
教会の関係者が集まって、障害者のために何かしたいと、35年前に開設された施設です。
私は大分から宮崎に移ってまもなく、ここで開いている土曜学校に招かれて、お話をしています。
最初は毎月一回だったのですが、いろいろな予定と重なることが多くなり、いまは第5週がある月の、最後の土曜日だけ伺っています。
土曜学校は毎週開かれていて、宮崎市内の牧師たちが交替でご奉仕をしています。
「学校」といっても、授業ではなく、ここにおられる園生と職員の方の礼拝なのです。
最初に讃美歌を歌い、お祈りをして、お話をして、お祈りをしてあとはお茶の時間になります。
ここでお話をするのは、私にとってとてもいい訓練になりました。
目の見えない方が数人おられます。
職員がつきそっているのですが、突然立ち上がったり、声を出したりという方がおります。
おもしろくない話には、反応がありません。
それで、身振り手振りを入れ、声にも表情にもメリハリをつけ、わかりやすい、しかし大切な話をしっかりするように心がけています。
写真は、その会場になるホールで、終わってすぐ撮らせていただいたものです。
おかげで、わたしのことを覚えていて下さる方もおります。
待っていて、熱く「ハグ」してくださる方もおります。そんなことは私にはめったにない経験ですから、感激します。
クリスマスも近くなりましたので、そんな話題も交えながら、25分くらいの話をさせていただきました。
職員のみなさまの上に、主イエス・キリストの祝福を祈ります。
コスモス満開( 11.19 )
ことし春に蒔いたコスモスは、夏の高温と日照りで、惨憺たるありさまで終わってしまいました。
その代わり、というわけではありませんが、妻が9月になってコスモスの種を蒔きました。
それほど身長はありませんが、立派なコスモスです。
いろいろな色が混じっていて、ひとつのコスモス(宇宙)を作っているように見えます。
ミツバチがやってきて、花から花へと忙しそうに飛び回っています。
おいしい蜜があるんでしょうね。
前足の近くに、花粉のかたまりがあります。
花粉団子もミツバチには大切な食糧なんだそうです。
教会の礼拝の時、生け花を飾っていますが、少し前に百日草が終わり、花が少なくなっていました。
そこへ、秋まきコスモスが咲き始めたのです。
良かったです。
それに、コスモスはやはりきれいです。
あしたの礼拝のためにコスモスを切っている妻の姿も・・・20代の頃とは違いますが・・・なかなかいい感じでした。
コスモスを撮っているとき、こんな写真も撮れました。
話は変わりますが、キャベツが収穫期に入りました。
けっこう虫に食べられましたが、人間が食べる部分は残ったようです。
また話は変わりますが、霧島教会に行きましたら、玄関の横にこんな花が咲いていました。
花火のような・・・きれいな花です。
花ってほんとうにいいですね。
「花はおいしくない、食べられないので、人間はそれを眺めて、心の食べ物にする」
星野さんのことばです。
支援バザー開催 ( 11.12 )
この前の土曜日、被災地支援バザーを開きました。
ここは野菜・花コーナーです。
知り合いの花農家が育てた花を仕入れて販売。
野菜は、教会員のご家族が育てられ、持ってきて下さったもの。
我が家の畑でとれたチンゲンサイやコマツナ、大根も出品しました。
教会のメンバーが、焼きそば屋さんをしてくださいました。
材料をご自分で全部そろえ、エプロンでバシッと決めての大奮闘です。
・・・いつもは、学校で教えておられる方ですが・・・。
今回のバザーの目玉は、焼きホタテでした。
この日の朝、宮城県の南三陸から届いたばかりの活ホタテを炭火で焼きました。
「こんなおいしいホタテは食べたことがない。うまい。うまい。」
と、大好評でしたよ。
このホタテは、ひょんなことから知り合いになった、宮城県南三陸町の阿部民子さんから仕入れたものです。
民子さんは津波で家も船も流され、何かしなければ・・・と思った末に、海産物の通信販売を始められました。
以下、たみこさんの話です。
震災前、養殖業を家族で営んで来ましたが、あの震災で、これまで積み上げてきたすべての物を失いました。
家族も犠牲になり一時は南三陸町から離れようとも考えました。
津波と地震の恐怖がなかなか取れず、毎日が不安との戦いでした。
もうこれ以上涙が出ないだろうと思うぐらい泣きました。
そんな中、沢山の支援や励ましを受け少しづつ前を向けるようになりました。
全国のみなさん本当にありがとうございました。
月日と共にこれからの事を考えるようになり、南三陸町から離れたところで何が出来るだろうか?
今まで積み上げて来た事すべてが無駄になるのではないか、いろいろ考え迷いたどり着いた答えが、南三陸町の復興を自分達の身近なところからやっていこうと思いました。
南三陸町は漁業と観光の町です。
町の復興は漁業の再生から、浜の活気と笑顔は町を盛り上げる活力そのものではないかと言う思いから、この町には美味しい物(海産物など)が沢山あるので、私が今出来る事それは、南三陸町の復興の様子と美味しい物を皆さんに届ける事。
美味しい物を多くの方に味わってもらい、漁業や観光が盛んな町にしたいと思います。
たみこさんのサイトは、ここ です。
小物や衣類などはたくさん集まって、置く場所がなくて芝生の上にシートを敷いて売場にしました。
掘り出し物がたくさんありました。
近所の子どもたちも、来てくれました。
コーヒーコーナーや、来場者には無料で「すいとん汁」のサービスもあり、おすしや赤飯なども販売して下さいました。
準備から後かたづけまで、みなさま、ご苦労様でした。
話は変わりますが、9月になってから蒔いたコスモスが咲き始めました。
そんなに遅くて大丈夫かな・・・と思いましたが、小ぶりながらきれいな花を付けています。
子どもの頃に食べたことのある、「そら豆」を蒔いてみました。
そしたら、ちゃんと芽が出ていて、大きく育っています。
何度も食べたことはありますが、自分で蒔いて育てるのは初めてで、楽しみです。
被災地支援バザー ( 11.6 )
今度の土曜日、被災地支援バザーを開きます。
震災から2年と8ヶ月が経ちますが、被災地と被災された方々の状況は、かんばしくありません。
私たちは、震災1ヶ月後から現地に行き、ささやかな支援と交流を続けてきました。
ことしも、夏に行き、また、12月9日から現地に行きます。
今年は特別に、宮城県南三陸の漁師の方から、現地でとれた海産物を仕入れ、販売します。
そして、産地直送の活きホタテを私が焼いて、ごちそうします。
(支援ですから有料です。よろしくお願いします)
近くの方は、いらっしゃいませ。
秋の休日は・・・熊本で ( 11.5 )
11月4日の祭日は、熊本の孫たちのところに行きました。
孫のひとりが、歓迎のしるしに・・・と言って、庭にある柿の木に登って柿を取ってきてくれました。
おいしかったです。
この畑は、10月23日の「博多教会に行きました」の記事の中の、孫のひとりが、
「じいちゃん、草取りしようよ」
と誘われ、やむなく・・? ・・草刈りをした跡で、妻からも、あそこを何とかしようよ、と言われていました。
家からミニ耕耘機を車に積んで持っていって、畑を耕し、秋野菜の種を蒔いたり、植え付けをしたりしました。
写真は、畝立てをするとき、中学生になった孫が、うしろから押してくれた写真です。
珍しい光景だ、と、妻が写真を撮りました。
私としては、押してもらうと、けっこう楽ちんでした。
そのあと、その子がミニ耕耘機で耕してくれました。
このタイプの耕耘機は、ハンドルを少しあげたり、少し下げたりする事で、耕す深さを調節するようになっています。
なかなか要領が良く、初めてにしては、とてもよくできました。
午前中みんなでがんばった成果がこれです。
一番奥がタマネギ。
そしてキャベツ、ブロッコリーの苗。
あとは、大根、ホウレンソウ、コマツナ、チンゲンサイ、ツルなしえんどうです。
しばらくすると発芽して、たぶん大根葉が一番早く食べられるようになるでしょう。
チンゲンサイやコマツナも早いですね。
帰りがけに見つけた柿園。
立派な柿が、たわわに実っていました。
一カ所に、こんなに鈴なりになっているところもありました。
ことしは柿が豊作なんでしょうね。
11月の花は・・・・ ( 11.2)
11月にはいると、さすがに涼しくなってきました。
もう、台風は起きてこないでしょうか。
冷え込んでくると、花は・・・華やかに・・・は、咲きませんが、それらしい美しい風情の花が咲き始めます。
裏にある渋柿もまっかになりました。
秋の夕日に映える柿は、美しい。
熟した柿を鳥たちは知っていて、枝に止まってはお食事をしています。
畑には、春まきのコスモスとか百日草がありました。
百日草はここでは、150日くらい咲きましたよ。
よくがんばりました。
しかし、きょう、妻が種を取って引き抜いていました。
そのかわり、秋まきのコスモスが、こんなに背丈が低いのですが、つぼみを付け始めましたよ。
ほんとうに花が咲くのかな・・・と、私は案じていましたが、ちやんと花を付けるみたいです。
中に、ひとつだけ花を付けているのがありました。
これから次々と咲くんでしょうね。
春に蒔いたものより小さいですが、こころを慰めてくれます。
花はいいですね。
前に何度か見ていただきましたオクラは、まだ咲いています。
元気ですね。
たしか6月くらいから花が咲いて収穫しましたが、まだがんばっています。
ことしはオクラをたくさんいただきました。
小さな苗床を作り、花の種を蒔きました。
キンギョソウ、カーネーションなどです。
花の種は、超小さくて、指先にまめらないくらいでしたが、なんとか蒔き終え、ようやく小さい芽が出ています。
花ではないんですが、お店で、「西洋フダンソウ」というのを見つけました。
スイスチャード、というんだそうです。
観賞用にもなります、と書いてありましたので、買って植えてみましたが、なかなかいです。
緑の中に、赤が少しあると、ホッとしますね。
久しぶりの木島先生 ( 10.28 )
27日の日曜日、私は霧島キリスト教会の礼拝に行きました。
毎月一度、第4週は出かけているのです。
木曜日には祈り会があり、そこでたびたび会っている人もいますが、一ヶ月ぶりの人たちもおりました。
宮崎市の郊外に住んでいる坂本さんが、家のそばにあったという、あけびに似た「こっぷん」を持ってきて、礼拝堂の花の代わりにしました。
秋らしくていいですね。
この日宮崎南教会の礼拝には、久しぶりに横浜の木島正敏先生がご家族で来て下さいました。
それで、礼拝でお話をしてくださったのです。
木島先生はここ木花出身で、防衛大学在学中にクリスチャンになられ、イギリスの神学校で学び、横浜の本郷台教会で牧師の一人として奉仕しておられるのです。
15年くらい前でしたか、木島先生とご家族はモンゴルに宣教師として出かけておられ、私もその間に2回、モンゴルを訪ね、モンゴルの大平原や羊たち、そしてモンゴルの教会を案内していただきました。
宿泊は先生のお宅で、たいへんお世話になりました。
今回は、ご長男 (右端) のお証があってから、木島先生がお話をして下さいました。
メッセージをお聞き下さい。
博多教会に行きました ( 10.23 )
20日の日曜日は、宮崎南教会の礼拝が終わって、博多に向かいました。
博多教会で集会をするためです。
博多教会は前任の牧師が病気で亡くなられたため、大分教会の佐々木先生と交替で、毎月一回日曜日の夕方、集会をしているのです。
今月は私たちの当番だったので、宮崎から博多教会まで290キロ、妻と交替で運転して行きました。
集会はこの部屋でやっています。
この日は14名の出席で、まずピアノの伴奏で「ああ驚くべき」という聖歌やゴスペルソングを歌いました。
お話の後、お茶の時間。
それぞれに持ち寄ったお菓子や果物で、にぎやかな時間を過ごしました。
今年の夏は、台湾旅行や、イタリア旅行をされた方もいて、楽しいおみやげ話がありました。
この部屋には本田広慈先生の書かれた「額」が飾ってあります。
ここで最初に奉仕された宣教師が本田先生を招かれ、そのときに書いていただいたものだそうです。
見事な筆さばきです。
この部屋にはもうひとつ「額」があり、聖書のことばが書かれています。
「道子」と書いてありますが・・・、どなたのものなのでしょうか ?
博多に行くのにはもうひとつの目的もあります。
それはお掃除です。
少しですが、玄関前に庭木がありますし、伸びて道路にはみ出すので、剪定をしました。
それに、お隣さんとの境界に、わずかな隙間があり、そこに草が生えるのです。
しかも、びっしりと。
それを手でむしり取らなければなりません。
いろいろやっているうちに、大きなゴミ袋が3つ、一杯になりました。
さて、博多からの帰りには、熊本にいる娘と孫たちのところに寄りました。
次の写真の、元気なこの子は、お兄ちゃんを中学校にお迎えに行ったとき、その庭にある大きな石の上に登りました。
家に帰って、私がインターネットで台風情報を見ていると、この子から、
「ねえ、おじいちゃん。畑の草取りをしようよ」
と、誘われたのです。
少しくたびれていましたので、いい返事はしなかったのですが、何度もそういうので・・・、そして今までは、
「ねえ、おじいちゃん、おもちゃ買って」
というようなお願いばかりだったので、これはもしかして、「天使のみ告げ」かもしれないと思いました。
そして・・・、もうひとつ心を動かされる「わけ」がありました。
私たちは毎朝、恩師の小畑進先生の書かれた「きょうの祈り」という本を読んでお祈りをしています。
その日、10月21日の祈りは、次のようなものでした。
「もうひとりには一タラント・・・」
恵みの源であられる神よ。
私のまわりには有力な兄弟や有能な姉妹が多くおられて、そのため、私はどんなに益を受け、励まされていることでしょうか。
・・・・・。
しかし主よ。あなたは公平な方です。
必ずや、私にも、賜物一タラント分はお与え下さっています。
それを確かめさせて下さい。
そして、大きなことをする人々の他に、その落ち穂拾いや、整理や、連絡や、掃除を努めるものがいないとしたら、教会は華やかさと乱雑の同居するところとなってしまうことを覚えさせて下さい。
どうか、私に与えられている賜物を発見し、その賜物にふさわしい奉仕の場を作り、ささやかなあかしを忠実に務めさせて下さい。
今朝ささげたこの祈りを思い出し・・・、そして2時間くらいみんなで草刈りをしました。
おかげで、裏の畑がだいぶきれいになりました。
この夜は、バーベキューでした。
中学生の孫が、宮城県南三陸直送のホタテを開けているところです。
お野菜と牛肉とチキン、それに焼きホタテで、おいしい夕食をいただきました。
それにしても、ことしの台風はおかしいですね。心配です。
今週27号と28号がダブルでやってきます。
ことしは南太平洋の海水温が異常に高いらしくて、前にもダブル台風が接近したことがありました。
なんだか・・・ふたつの渦を見ていると、暑くて暑くて、目が回るぞぅ・・・、そんな、地球の悲鳴が聞こえてくるようでもあります。
ゴスペルナイト ( 10.13 )
12日土曜日の夜、初めての試みでしたが、みんなでゴスペルを歌う会、「ゴスペルナイト」を開きました。
演奏者はこのふたり。
霧島キリスト教会の中村さん夫妻です。
奥様がピアノ、ご主人がギターの名手なのです。
毎週木曜日の午後2時から、私は霧島教会の祈り会に出席しています。
そこでは、このふたりのギターとピアノで、力一杯ゴスペルソングを歌っています。
この集まりも、それの延長線上にあります。
何しろ初めてのことですから、どうなるのか不安でしたが、ほかにタンバリンを加えて下さったご婦人もいらっしゃって、なかなかにぎやかでした。
私も、生まれて初めて、こんなパーカッションを叩いてみました。
おもしろかったですよ。
元気よく歌いたいところは、こんな具合に立って、大きな声で賛美しました。
初めて歌った子どもたちも、すぐ覚えていっしょに賛美してくれました。
7時から始まって。6曲歌って小休止。
そのあと7曲歌いました。
締めくくりは、「感謝します」。
すてきな歌です。
無事終了して、ほっとしている中村さん夫妻。
あとで・・・「なんだか一年分ギターを弾いたみたいだ」とおしゃっていました。
ほんとうに、ありがとうございました。
礼拝の生け花 ( 10.7 )
きのうの日曜日の礼拝堂の正面です。
きのうは第一日曜で、聖餐式がありました。
飾られた花は、百日草です。
このホームページの7月7日のところに、花の紹介をしていますが、そこに百日草が咲き始めました、と書きました。
8月、9月、そして10月になってもまだ咲き続けています。
長い夏の炎天下、そして台風の影響で強い風も吹きましたが、まだまだ健在です。
「百日草」・・・花にぴったりのすてきな名前ですね。
大きさ、かたち、色彩、同じ百日草でも、ひとつひとつみんな違うところもすてきです。
人間もそうですよね。
その、ひとりひとりの違いが大切にされるようでありたいと思います。
別の話ですが、
うちの奥さんが畑からこんなものを持って帰りました。
地面に座っていたそうです。
畑のナスは大きくなって、枝が低くたれていますので、花が咲いて実ができてくるうちに・・・こんなになったんでしょう。
痛かった・・・( 10.3 )
福音書の中に、こんなイエス・キリストのことばがあります。
「見てもらおうとして、人の前で善行をしないように注意しなさい。
さもないと、あなたがたの天の父のもとで報いをいただけないことになる。
だから、あなたは施しをするときには、偽善者たちが人からほめられようと会堂や街角でするように、自分の前でラッパを吹き鳴らしてはならない。
はっきりあなたがたに言っておく。彼らは既に報いを受けている。
施しをするときは、右の手のすることを左の手に知らせてはならない。
あなたの施しを人目につかせないためである。
そうすれば、隠れたことを見ておられる父が、あなたに報いてくださる。」
これは、善いことは、人に見られないように、隠れてしなさい。
という教えですが、それを、「右の手のすることを左の手に知らせてはならない」。
自分自身にも隠して・・・意識しないでということでしょう・・・と言われたのです。
人間の体は、頭のてっぺんから足の先までつながっていますので、どこが何をしているのかわかります。
・・・ところが・・・
急いだり、あわてたりしていると、ちぐはぐなことをしでかしてしまうことがあるのです。
きのう夕方、戸を閉めようとしてまず両手でガラス戸をつかみ、右手で閉めました。
ところが、左手がまだガラス戸の左側に残っていたようです。
左手中指の、爪の生え際を挟んでしまいました。
痛かったです。
涙が出そうでした。
でも、自動車のドアで手を挟み、骨折した人の話を思い出しました。
そうか、これくらいでよかった、と感謝しました。
夜は風呂に入ってうずき、寝ていて少しうずきましたが・・・。
今朝はこんなふうになっていました。
おかげさまで、今は痛みはだいぶ薄れました。
そして、もうひとつこんな聖書のことばを思い出しました。
「体は、一つの部分ではなく、多くの部分から成っています。・・・・・・・
それで、体に分裂が起こらず、各部分が互いに配慮し合っています。
一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです」
コリント第一の手紙12章
そうだったんだ、家族も、教会も、ひとつのからだなんだな・・・、と教えられました。
指先だけが痛かったんではなく、体全体が痛かったんだと思いました。