きょうのひとこと・・・2014年10~12月



 

クリスマスイブ ( 12.25 )


昨夜は、クリスマスイブで、キャンドルサービス(燭火礼拝)をおこないました。

夜には、クリスマスらしい、いい雰囲気がありますね。

 

クリスマスなので、いろいろなところで豪華なイルミネーションが飾り付けられていますが、教会では、ことしはこんな具合でした。

 

 



会堂の中は、こんな感じにして、少し華やかに。

照明は消して暗くしてあります。

ひとりひとりが、手に蝋燭を持って、讃美歌を歌います。





第一部のキャンドルサービスが終わると、ティーパーティ。

それぞれに持ち寄ったお菓子や・・・お寿司もありましたよ。

そして手作りのデコレーションケーキ。

おいしかったです。





最後は、ひとつずつもってきたプレゼントを、みんなで交換。

私は、いろいろな種類のハーブを、「塗り絵」にしたものをいただきました。

ありがとうございました。





 

突然、天使たち? の歌声が・・・( 12.23 )


いよいよクリスマス。

 

こんな動画があります。

ある日の、レストランで、突然、天使たち? の歌が。

 

 

 

 

 

いいですね。

私もこんな場面に出会いたいです。

こういうのを、フラッシュモブって言うんだそうです。

 

ところで、日本では、ハレルヤコーラス、というところまでは行きませんが、こんな楽しいフラッシュモブもあります。

 

 

  

 



 

メリークリスマス( 12.20 )


いよいよクリスマスを迎えました。

ここ数日寒さが厳しかったです。

宮崎市内・・・田野町・・・では、雪が降ったそうです。

残念ながら、海岸沿いのここでは、降りませんでしたけど・・・。

 

それで、雪の写真を数枚。

これは、北海道の東、道東の別海町に行ったときのものです。

一面のの真っ白な雪・雪・雪。

 

 

 

 

近くの牧場では、こんな雪の中、寒さの中でも、馬たちが元気に走り回っています。

すごい。

 

 

 

 

そして、これは別海教会と愛光幼稚園。

正月に行ったので、まだクリスマスのかざりが残っていました。

でも、すごい雪。

園庭には、大きな雪の山ができていましたよ。

 

 

 

 

 

でも、寒くて寒くて。

うーーーん、ここでは生きていけない。

私はやはり南国の人間なのだと、思い知らされました。

 



 

涙のわけ ( 12.16 )



先月鼻の手術をしました。

とても経過が良く、空気がストレートに体の中に入ってくるので、身も心もすっきり、の状態です。

きょう、術後初めての検査で病院に行きました。

「問題なし!!」

という診断が出るものと、楽しみにして行きましたが・・・。

 

手術で開けた鼻の穴に要らないものができていて、空気の通路が一部塞がっていたようです。

「これは切り取りましょう」

「えっ」

 

少し麻酔のようなものをかけ、そして削り取る作業がありました。

「少し痛いかもしれませんよ・・・」

・・・。

 

とても痛かったです。

もちろん「痛い」なんて言いません。

ところが、歯を噛み締めて耐えているとき、ひとりでに、涙がポロポロとこぼれたのです。

 

お医者さんが、

「これをやると、みんな泣きわめくんですよ。・・・我慢強いですね」

と。

 

でも、ひとつ自分の体のことで勉強になりました。

 

私は滅多なことでは涙をこぼさないようにしていますが、「涙」というのは、悲しいときだけでなく、痛みに耐えるときにも、勝手に出てくるものだ、ということがわかりました。

 

 

 

さて、次の写真は、ネット上で拾ったもので、私ではありません。

 



 

優しい看護師さん ( 11.30 )



以前、循環器の問題で入院したとき、主治医の先生がこんなことを言われました。

「佐藤さんは、ストレスに弱いからね。」

私が牧師である、ということを知っていて、こういわれたようです。

私は信仰が足りないな、人には、「神様にお任せしましょう」なんで言っている牧師なのに・・・と教えられました。

 

それは、夜眠れなくて、

「先生、個室が開いていたら、お願いしたいんですけど」

と、頼んだからでした。

部屋は開いていなくて、そのかわりに、睡眠導入剤をいただき、かろうじて眠ることが出来ました。

4人部屋は、話し相手がいて、退屈しませんが、たまにいびきをかく人がいたりして、ほんとに睡眠不足になってしまうことがあるのです。

同室者の病気によっては、夜中に看護師や医者が回診に来ることだってあります。

誰かが部屋に入ってくれば、やはり、目が覚めてしまいます。

 

こんな文章を作ってみました。

 

「病院って、恐ろしいところですよ。

昨夜も、5回くらい、看護が襲って来たんです。

看護は、自分たちは交代交代で十分睡眠を取っているのに、私が疲れて眠り込んだ頃を見計らったように、黙って入ってきて、懐中電灯で私の顔を照らすんです。誰だって、びっくりして飛び起きますよ。

そして、ふとんをはいで、左手を引っ張るんですよ。

そして、黙って・・・出て行くんです。

2時間おきにこんなことをやられてごらんなさい。

たまりませんよ。

・・・恐ろしい人たちです。

おかげで、私はすっかりまいってしまいました。」

 

 

さて、次の写真は、ネット上で拾ったもので、いまの話とは、まったく関係ありません。

 

 

 

 

上の話は、「自己中心」という視点で昨夜のことを見たらどうなるか、と、暇に任せて書いてみみたものです。

「善意」で見るのと、「悪意」で見るのとでは、こんなにも違う、と思いませんか。

 

夜間に5回くらい来られる、というのはほんとうですが、それは点滴は大丈夫かな? と点検に来てくださるからなんです。

「顔を照らす」というのはオーバーで、実際は少し明るくなるという程度です。

「左手を引っ張って・・・というのも、うそではありませんが、それは私の左腕に、個人識別票とでも言うんでしょうか、バーコードが印刷されています。

患者の取り違えがないように、薬を間違いなく本人に投与するようにと、こんなものを入院時につけてもらったのです。

それを確認する・・・今は、スマホでやっているんですね・・・ために、優しく触ってくださるのです。

ありがたいことです。

 

 

 

 

皆様の献身的な治療、介護のおかげで、鼻はすっきり、頭もスッキリ、また元気になって仕事ができます。

私たち夫婦は、この病院に大変お世話になりました。いま、このようにいろいろな仕事ができるのは、ここで、腰も、心臓も、前立腺も、そして鼻も、すっかり良くしていただいたからなのです。

日本の医学、医療制度にも感謝です。

感謝の思いから、私たちは「献体」の登録をさせていただきました。

 

いよいよ退院です。

今度は、私が私のつとめを果たしていく番です。

 

ほんとうにありがとうございました。

 

 



 

通気孔の修理をしました ( 11.29 )



最近、夜寝ていて、鼻(通気孔)がつまり呼吸困難になってガバッと、起きあがることがありました。

近くの耳鼻咽喉科に行って、おくすりをもらい、治療しましたが、あまり良くなりません。

お医者さんの診断では、「慢性副鼻腔炎」つまり、鼻茸(はなたけ)なんだそうです。鼻にキノコが出来ちゃった。

いっそのこと、切ってくれませんか、とお願いしたら、お医者さんが、「うーーーん」と考え込んでしまいました。

普通であれば、日帰りでも切り取れるくらいのものらしいですが、私の場合は、血液さらさらの薬を飲んでいること、ペースメーカーが入っていること、それで個人のお医者さんでは出来ない、と断られてしまいました。

 

それで、いつもお世話になっている大学病院へ。

 

 

 

 

診察していただいて、手術の日程が決まり、入院しました。

これは病室から眺める朝の風景。

暗い夜があっても、必ず朝が来るんだ、と、話してくれた友人がいます。

朝の光の中で、また、新しい一日を始めることが出来ます。

 

 

 

 

数日は、血液さらさらの薬をコントロールするために、点滴です。

 

 

 

 

点滴につながれると、普段のように一人で動き回ることができなくなります。

お散歩は、この点滴の装置を転がして行けますが、電池が切れるので、約30分程度。

 

お風呂は難しいですが、シャワーならなんとか。

妻に助けてもらって、な・ん・と・か・・・できました。

 

そして、いよいよ全身麻酔で、手術。

 

痛くはなかったけれど、術後、麻酔が切れるに従い、傷跡が痛みました。

しかし、「通気孔」がちゃんと開いて、空気がすっきり肺に入ってきます。

気持ちいい。

 

お医者さんが、切り取ったものを持ってきて見せてくれました。


耳たぶくらいの大きさだったそうです。

こんなものが、通気孔を塞いでいたんだ。

鼻には結構大きな空間があるもんですね、

 

 

 


鼻の中は、皮膚と違って粘膜で出来ているのだそうです。

それで縫合が出来ないのだそうです。

それで、血が、ぽたぽた落ちてくるので、こんな感じで受け止めていました。

ガーゼをたたんで、唇の上、鼻の下に絆創膏でくっつけます。

これなら、このままで食べたり飲んだりも出来て、便利でした。

 


 

 

術後二日目に、鼻の中に入っていたガーゼを抜き取ってもらいました。

またまた、すっきりです。

でも、あまり乾燥すると傷跡によくないから、と、お医者さんの助言で鼻栓をすることになりました。


 

 


もうすぐ退院です。

「通気孔」からストレートに空気が入ってくるので、頭がスッキリ、気持ちがいいです。

バンザーイ。

 

さて、いよいよクリスマスですね。

 



 

大川小の思い出 ( 11.21 )



今年の夏、東北を訪ねました。

白神山地を訪ね、気仙沼に入り、大槌町まで行きましたが。

そのあと南下して南三陸へ。

そこから東北自動車道に出ようと、北上川沿いの道を走っていました。

すると、なんか見たような風景だよね、と話していていて、そこが写真で見ていた大川小学校のすぐ近くであることがわかりました。

それで、立ち寄ることにしたのです。


朝早かったので、誰もいませんでした。

ここでは、大津波にのみ込まれ、児童108人のうち74人、教職員は13人のうち10人が亡くなりました。



そこには、津波のものすごい力を示す、なまなましい光景が広がっていました。

右の建物と、左の建物を結ぶ渡り廊下が、根こそぎ倒れたままになっていました。



子どもたちがみんなで描いたのでしょう。

宮沢賢治の作品「銀河鉄道」にちなんだ絵がありました。



校庭には、大きな記念碑が作られていて、ここで亡くなった子どもたちの名前が記してありました。

すぐ後ろは山です。

早く、この山に登れば助かったのに、・・・と思いますが・・・。



しばしお祈りをしてから、帰ろうとすると、一人の男性が車を止め、慰霊碑の前にきて手を合わせました。

妻が、

「ご遺族の方ですか?」

と聞いたら、

「いえ、近くに作業にきている者です。あまりに心の痛む出来事で、毎朝ここで、お祈りをしています。」

という返事が返ってきました。







洗礼を受けて50年 ( 11.14 )


50年前の11月13日金曜日、静岡県周智郡森町の、河川敷の中にある教会で洗礼を受けました。

 

特別な感動のようなものはありませんでしたが、ようやく、ふるさとへ、ほんとうの父のふところへ帰り着いたような、ホッとした気持ちがしたのを覚えています。

その時、21才でした。

 

それから50年。

結婚を始め、いろいろな祝福を次々にいただいて歩んだ50年でした。

人口も増え、ひとりからふたりへ、ふたりから3人、そして4、5、6、7、8人、母と同居するようになって9人で生活したのが、頂点だったでしょうか。 

 

そして長女の結婚から始まって、ひとり減り、ふたり減り、次々に家を離れていって母と3人になり、母が召されてついにふたりになりました。

 

私たちの願いは、ふたり同時に召されることです。 

 

「ところで、あなたはいつ洗礼を受けたの?」 

妻に聞きましたら、 「えーーと、覚えてない。」

えっ、まさかと思いました。

もしかして、・・・の始まり?

 

気を取り直して、調べたら、1964年10月14日でした。

50年と1ヶ月です。

 

「何だ、わたしとほぼ同じじゃん !! 」

 


 

昨年、夏休みにには懐かしい森の教会を訪ね、私がいた頃はまだ子供で、お母さんに連れられて教会にきていた、というその教会の牧師としばらく楽しい話をすることができました。

さらに、その頃教会に来ておられた散髪屋さんの倉嶋さんという方が、101才でお元気でおられる、という話も聞き、その方にお会いしました。

今年も102才でお元気でいるらしい。


 

 

 

もちろん、もう50年も経っているので、以前の会堂はありません。

きれいな、新しい建物になっていました。

 

 



13日の木曜日に、吉行孝彦先生と教会会議の機関誌の印刷をしているとき、吉行先生に聞きました。

「先生は、いつ洗礼を受けたんですか?」

 

そうしたら、おぼえていない、という返事。

 

なんか、・・・ホッとしました。 

 

洗礼の記憶というのは、あってもなくてもいいんだ。

 

大切なことは、今、主にあって生き生きと生きているか、ということなんだ、と思いました。 

 




潮田先生の講演会 ( 11.12 )


またまたの更新お休みでした。

急に寒くなったからでしょうか。

教会でも亡くなられる人がおられ、お葬式もありました。

そういえば、旭川の、三浦光世さんが亡くなられたというニュースがありました。

以前、旭川で、ご夫妻からお食事をごちそうになったことがありました。


さて、教会では、「こころを聴く」というテーマで、講演会が開かれました。

横浜の潮田健治先生の講演です。


ふだん、不用意に使っていることばが、逆に自分に向けられたとき、相手はどう感じるか・・・、そんなことをゲームの中に取り入れたり、実際にふたり組んでやってみたりして、学びました。

まず、相手の話を、しっかり聴く、これが大切であると。




そういえば、いろいろこころに思い当たるところがあり、教会の中で、一番人の話を聴いていないのは、自分ではないか・・・、と思わされました。


とても好評でしたので、潮田先生のお話のレジュメを紹介します。

こころを聴く(1)

序.いい話には「ウラ」がある

 ・弱さというテーマ
 ・受容と共感

1.受容・共感(確認として)

 (1)立場、環境、事実を受け止める
   ・うなずき/あいづち
   ・内容の繰り返し
   ・評価しない

 (2)感情を受け止める/内側からの理解を
   ・感情の反射
   ・感情を開く質問
   ・感情の明確化

2.外側/内側の理解
   ・コミュニケーションを阻む遣り取り

3.自分と出会う

第1回のまとめ


こころを聴く(2)

序.何が起ったのか

1.受容・共感(復習)

2.体験・聴く力(百万円の値打ち)

3.会話事例

まとめ「奉仕とは」(ボンヘッファー『共に生きる生活』より)(『こころを聴く』P52)

   ・言葉を慎む (物理的態度)
   ・謙虚    (心の態度、心の姿勢)
   (1)聞く                  
   (2)助ける (計画の変更)                 
   (3)重荷を負う(共感=他者の苦しみを引受ける、受容=他者の自由を守る/罪を担う)      
   (4)言葉  (宗教的、究極にして最高の奉仕)          
   (5)権威  (人間的依存関係を作らない)


第2回のまとめ







ご無沙汰ですー・・・( 10.26 )

一ヶ月以上のご無沙汰でした。

10月に入って、日曜日ごとに台風が宮崎を襲いました。

12日の日曜日は、JMF(日本メノナイト宣教会)の集まりが東京で開かれ、土曜日から東京に行っていました。

帰りは、13日の予定だったのですが、台風が宮崎を直撃。

安全第一、と考えて、予定を一日延ばして帰ってきました。

帰ったら、仕事が次々に待っていて、19日は、博多集会に出かけました。

もうすぐ、秋の講演会があるので、ポスターを作ったり、いろいろ。

 




あなたも、きてみませんか。