益城町にボランティアに行ってきました。( 6.3)
5月30日(月)と31日、益城町に行ってボランティアをしてきました。
益城町が運営するボランティアセンターです。
29日の日曜日は1日雨で、ボランティアセンターもお休みだったそうです。
グラウンドがこんな状態でした。
受付は8時半からで、ボランティアはたくさん来られるので、それまでは車の中でお待ちください、という案内が出ていました。
新規の人と、継続の人は別々に並びます。
2回目以降のの人は「継続」で、申込書に記入して、すぐマッチングです。
新規の人は、「ボランティアの心得」のような説明がありました。
1、絶対に無理はしないでください。
2、金品は貰わないでください、お茶くらいはいい。
3、屋根の上に上がるなど、危険な仕事は引き受けないでください。
4、水分補給をして、たびたび休憩をしてください。
5、午後3時半までには終了してください。
などなど。
とてもいいお話でした。
そして、個人のお宅からの要請と、ボランティアの人とのマッチングです。
席は3つに分かれていて、右が一般の参加者。
左側は、乗用車を出せる人と、軽トラックあるいはトラックを出せる人で並びます。
私は、現場で、休み時間に行きたいところがあったので、車を出すところに並びました。
10人のチームに参加し、軽トラ一台、乗用車2台に、いろいろな道具を積んで出かけます。
出かける直前にチームリーダーの発声で、「がんばるぞー」、「オー」と気合を入れました。
リーダーは、中央の若い人でしたよ。
このあたりが、益城町木山の1日目の現場周辺です。
この人が家主さん。
家は大きく壊れ、左手の小さなビニールハウスに家財道具を入れる仕事もしました。
私たち男性の主な仕事は、倒れたブロック塀の片付けです。
コンクリーブロックと、瓦と、ガラスがごちゃごちゃになっています。
それを小さく砕き、鉄筋を切り、分別をして片付けるのです。
昼休みに少し歩いてみました。
こんな家がたくさんあります。
水道管も破壊されているのでしょう。
こんなものがありました。
そして、熊本東聖書キリスト教会の「跡」に行ってみました。
こんな看板が出ていました。
教会は、益城町文化会館のすぐ近くでした。
ボランティアセンターからのお知らせが立ててあります。
そういえば、妻は、女性数人と手分けをして、「ボランティアをします。申し出てください」というチラシを配布して回りました。
益城町総合体育館とグラウンド、その敷地内に、テント村がありました。
テント村は、登山家の野口健さん=東京都=らが、開設していたものですが、梅雨時期を迎え、川が近いので増水が心配だ、そしてテントの中は日中が高温になるために、5月31日限りで、益城町が閉鎖を決めたのだそうです。
避難所では、子どもがいたりして迷惑をかける・・・などいろいろな理由でここにおられた人たちは、これからどこへ行くのでしょうか。
さて、31日のボランティアは、辻の城地区の、「すくすく保育園」という小さな保育園でした。
家は、一見、ちゃんとしているようです。
しかし、あちこちに亀裂が入っていて、「危険」の張り紙。
家主さんは、建て替えると言っていました。
10人のチームで、道路の中央まで散乱した、土と、ブロックと、中に混じっている石を分別し、土は土嚢に入れてこんなふうに積み上げました。
ボランティアの仕事は、午後3時半までですから、午前中かなり頑張ったのですが、きょう終わる見込みはありませんでした。・・・それに、とても暑かった。温度計で測ったら、ここでは33度ありました。
大阪から来たという男性が、土嚢を積み上げるのがとても上手でした。
そして、積み上げた土嚢を、角スコップで叩いて、きれいに仕上げてくれました。
個人的には、「この暑さの中、午後はきついなぁ」、と思っていたところでしたが、なんとお昼から、10人の応援部隊が到着。
心の中で、「神様、ありがとうございます。助かりました。」と感謝の祈りを捧げました。
ぐんぐん仕事が片付いていきます。
そして、完成。
私は、家主さんから、邪魔になっていた木を切るように頼まれ、柿の木と、キンカンと、キンモクセイを切って片付けました。私の車には、ノコと剪定バサミがいつも入れてあるのです。
仕事が終わったところです。
「阪神大震災でお世話になったから、その恩返しです。」と言う神戸から来た若者が3人。
山梨から来たという若い男性2人もいました。
皆さんは、一週間とか、一ヶ月とかいう人たちで、この車で「車中泊」をしながらボランティアをしているそうです。
頭が下がります。
被災者の方々も、避難所で生活をしている人、子どもがいるので車中泊を続けている人がいるそうです。
主の慰めを祈ります。
私だったら、車中泊はキツイだろうなぁ、ちゃんと布団で眠りたいなぁ、温泉にも入りたいなぁ、と思います。
宮崎は近いし、娘の家もあるので私のような者でも、ボランティアが出来るので、ありがたいです。
ボランティアをした、その、ちょうど前の家も、しっかりしているようですが・・・。
「赤紙」が。
つぶれた家の前に何かが書いてあります。
「カワラを取らないで下さい」。
誰かが、この時期、「貴重品」のカワラを取っていったようです。
世の中には、不心得者がいるのですね。
さて、昼休みを利用して、木山キリスト教会を訪ねました。
周囲の建物は甚大な被害を受けましたが、この教会は、無事だったそうです。
それで、支援活動をしています。
たくさんの支援物資が積んでありました。
礼拝堂です。
小田眞由美先生と。
あなたも、熊本に行って、いっしょにボランティアをしませんか?
お申し出を待っています。
渋滞の中で感謝する ( 5.16)・・・「心のひろば」5月号から
いつも喜んでいなさい。 絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。」
第一テサロニケ5章16節以下
震度7、というのは、ものすごい力のようですね。熊本を襲った2度の「震度7」で、九州自動車道、緑川PA付近で、高速道路をまたぐ橋が落下してしまいました。
これは、その跡です。
山鹿市に住む娘からの連絡を受けて行こうとしましたが、八代から植木インターまで通行止め。宮崎から八代までは高速を走り、そのあとは国道3号線を通って行くことになりました。渋滞はある程度覚悟していましたが、「一寸刻み」ということばがぴったりするほどの渋滞でした。
八代インターから隣の氷川町まで4キロありますが、所要時間は1時間。歩くのと同じ速さでした。
さらに宇城市まで1時間。宇土市に入ってバイパスに乗るとそこからはスイスイ走りましたが、ひとつ困った問題が出てきました。道沿いのコンビニに入って、お手洗いに行こうとしたら、「断水のため使用できません」の看板。電気は来ているけれど、付近一帯は水が出ないんだそうです。
・・・そういう問題ではないだろう、と思いましたが・・・その後どうしたかは・・・書けません。
熊本市内はまたまた大渋滞でした。
地震で通れなくなった道路があり、広い3車線の道路の2車線を通行止めにして復旧工事をしているところがたくさんあって、身動きが取れなくなっています。
「ただいま、停滞中」という案内板がありました。停滞というのは、渋滞のさらにひどいものらしいです。初めて聞きました。
地震の翌日15日に娘のところに宅急便で野菜を送ったのですが、到着したのは19日。
中の野菜は傷んでいて使い物になりませんでした。物流が停滞しているのです。
熊本市内からは3号線を離れ、
裏道を通って娘のところに着きま
した。
八代からの所要時間5時間。
山鹿に着き、娘から牛乳を頼まれ
たのでスーパーに入ったら、生鮮
食品コーナーはガラーーンとして
肉も魚も乳製品も何にもありませ
ん。
「明日9時に少し入ります」
と、お店の人。ここは被災地なん
だ、と東北に行った時のことを思
い出しました。
なぜ渋滞が起こるのか? 答えは、「あなたが車でそこに来たから」と言う話があります。
帰りはもっと混んで、八代まで6時間。
ようやく八代に着き、「さぁ、高速だ」とインターから入ろうとしたら、「30分前、八代で震度5強の地震が起き、八代ー人吉間は通行止めです」。
仕方なく、球磨川沿いの、崖っぷちの、大型トラックがバンバン走ってくる道路を1時間以上もかかって人吉に着きました。
そこからは、貸切状態の高速でしたが、普段、2時間半で走れる山鹿ー宮崎、この日は8時間かかりました。
有難いことに、ゴールデンウィーク前に九州自動車道が通れるようになりました。
一部区間の対面通行と20キロ制限、そして一旦停止がありますが。
下の写真は、一旦停止をさせられるところです。
道路が波打っているのがお分かりでしょうか。
安全のために決めたことでしょうが、そのために4キロ、5キロという渋滞が起きています。
一般道よりはいいですが、それでもほぼ1時間は渋滞の中です。
NEXCO西日本に聞いてみたら、車と車の間隔を「6秒間」取るように指示をしている、ということでした。
「なぜ6秒間なのですか?」と聞くと、「警察と協議の上で」という返事。まるで、運動会の「ヨーイ・ドン」のように、次々にスタートを切って、ガラーンとした道路に走り出ていきます。
しかしこの写真の人はとてもいい人で、3秒間隔で次々にスタートさせてくれていました。感謝。
たっぷり時間のある渋滞の中で、妻と、冒頭の聖書の言葉について話し合いました。
こんなに忍耐を強いられる時、どういうふうに感謝したらいいものだろうか、と。
1、地震で突然亡くなられた方もいるのに、なお、生かされていることを感謝。
2、子どもと孫たちと、家がそれなりに守られたことを感謝。
3、とりあえず、応急修理が出来、ブルーシートが外れたので感謝。
4、屋根の上にいる時、特別大きな地震が来なくて感謝。
5、私たちのために祈ってくれる、教会の兄弟姉妹がいるので感謝。
6、私たちが疲れたろうと、孫たち4人がマッサージをしてくれたので感謝。
7、夫婦二人とも、それなりに元気で、仕事が出来るので感謝。
8、もしものことがあっても天国へ行けるので感謝。
数え切れないほど、たくさん
の感謝があるので感謝です。
熊本が地震だぁ・・つづきです( 5.14)
さて、 娘の家は、山鹿市にありますが、木造建築で大きく揺れ、2階の屋根の瓦がずり落ち、1階の屋根の瓦がたくさん割れてしまいました。
そのあとすぐに大雨が降り、その前にブルーシートをかけたそうです。
それでも家の中は、余震がたびたび来るので、ゆっくり休むことができず、一週間くらい、夜は近くの避難所に行って寝ていたそうです。
その知らせを受けて、私は家内とふたりで熊本に出かけてきました。
いつもなら、宮崎から2時間半で着くところなんですが、八代と植木の間が高速道路の通行止め。それで、国道3号線を通り、6時間かかって到着しました。
少しだけ瓦屋根の補修をして帰りました。
5月2日にも出かけて応急修理をしました。
3日は雨の予報だったので、朝早く5時に家に行き、子どもたちを起こして、ちょうど連休で休みだったので、子どもたちの力を借りて、ふたたび屋根の修理。
こういうときは、人手が多いのは、とても助かりますね。
近所の人が、同じ瓦を持っておられ、それをいただくことができました。
右下に見えるのが、瓦の残りです。
朝早くから、声を掛け合いながら、屋根に瓦をあげていると、その様子を見てかられたのでしょうか・・・近所のおじさんが手伝いに来てくださいました。
いちおう、応急の修理を終わりました。
ちょうど修理が終わったところで、雨が降り始め、そのあとは何もできないので、私たちは宮崎に帰りました。
孫の一人が、「雨が降るとブルーシートがうるさい、風が吹くとバタバタしてやかましい。なんとかして。」と言っていたので、とりあえず、シートが外れました。
一階の屋根の、瓦の色の違う部分が、いただいた瓦で修復したところです。
100枚くらいありました。 一階部分の屋根はこれに、塗装をして完成の予定です。
ところが・・・、9日、10日とまた激しい雨が降り、雨漏りがしている、と連絡がありました。
「うーーむ。やっぱりぃ・・・」
応急修理だけしかしてないので・・・。
二階の屋根の、「のし瓦」の部分に、セメントを塗っただけだったので、そこから雨漏りをしたようです。
それで、天気が良かった、11日の午後から出かけ、12日に1日かけて、屋根の応急修理の応急修理をしてきました。
下で、セメントをこねる係が、もうひとりのおじいちゃん。
セメントをバケツに入れて二階のテラスに持って上がるのが娘。
それを2回の屋根の上で待っていて、受け取るのが中学生の男の子。
それを受け取って、セメントを塗り、瓦をセットするのが私でした。
人数がいたので、どんどん仕事がはかどりました。
写真のように、まだ「のし瓦」の上と端っこの部分が完成していないんですが、とりあえず、雨漏りはしないかな・・・、と思います。
追記
*5月16日に強い雨が降りました。
娘の連絡だと、全然雨漏りはしていない、ということでした。
ホッと、しました。
みんなで力を合わせて、努力した結果です。
さて、あと、もう一度出かけて、屋根の修理が終わったら、JMFの熊本地震の救援ボランティアに行こうと思っています。
これをご覧になって、「私も行きたい」という方がおられたら、ご連絡ください。お時間さえ作っていただければ、JMFからチームで派遣することができます。
熊本が地震だぁ( 5,9)
4月14日21時46分ごろ、熊本地方を震源とするマグニチュード6.5、最大震度7の大地震が発生。16日の早朝 1時56分にも、「本震」と言われている、震度7の激しい地震が起きました。最初の地震で打撃を受けながらも、かろうじて立っていた家屋の多くが倒壊しました。
これは、熊本の山鹿市にいる、長女の夫の、原口泉牧師が15日に撮影したものです。
益城町にある熊本東聖書キリスト教会(牧師は豊世武士先生)の建物です。
もともと2階建ての建物の、1階部分が潰れてしまいました。
豊世武士先生は、隙間に挟まり、かろうじて脱出されましたが、娘さんが落ちてきてものに挟まれましたが、5時間後に救出され、病院で手当てを受けた、という出来事がありました。
先生たちは、熊本市内に息子さんがおられて、今はそこで過ごしておられるとのことです。
ただこの教会堂と牧師館は、16日の深夜1時56分に起きた震度7の地震で、崩れてしまったそうです。
日にちが前後しますが、最初の熊本行きの帰りです。
また6時間かかると思い、昼食を食べて午後1時に出発したのですが・・・、「行きは良い良い、帰りは怖い」という歌がありますが、熊本市内はこんな状態でした。
歩く方が早いくらいですから、車から降りてゆっくり写真を撮ることができます。
渋滞の原因のひとつは、緊急の道路補修。
3車線あるところを、2車線通行止めにして工事をやっています。
高速道路が止まっているので、みんなここに流れこんできます。
さらに、いたるところに段差ができていました。
道路脇にはこんな光景が。
きのう4時間かかったところを、5時間かかってようやく八代に着いた時・・・な・ん・と・地震により、通行止。人吉まで下道を走ってください、とのこと。
この写真は、別の通行止めの写真です。車が次々に来るので、残念ながら写真を撮れませんでした。がっくり、きました。
NEXCO西日本、高速道路を管理している会社のホームページにこんな写真が載っていました。
益城町の、熊本空港付近の高速道路です。
これは、緑川PA付近の跨線橋が落下している写真です。
地震って、すごいですね。
さて、高速に乗れなかったので、球磨川沿いの、崖っぷちの狭い道路を人吉まで走りました。
大型トラックがたくさん通っていて、ヒヤヒヤする場面がなんどもありましたよ。
ようやく人吉に着き高速に乗り、そこからはまるで「貸切」のように走りやすい道路でした。
そして、家に着いたのは、9時を過ぎていて、なんと、8時間かかってしまいました。
被災地なんだなぁ、と、東北のボランティアのことを思い出しました。
1日も早く、地震がおさまり、被災者の皆様が普通の生活に戻れるよう、祈ります。
礼拝堂の花 ( 4,11)
春は花の季節ですね。
礼拝堂にも、いろいろな花が集まってきます。
これは、4月10日の花です。
君子蘭と、ルピナスの花が咲きました。
これは、3月27日のイースターのときのチューリップ。
畑にたくさん咲いたので、まとめて飾ってみました。
これは、家内が生けたものです。
チューリップと白いかすみ草。
スィートピーも咲き始めましたよ。
これは、初めて苗を買ってきて植えた、「アグロステンマ」という花です。
ヨーロッパでは、畑の隅に「雑草」みたいにたくさん咲いている花、らしいですよ。
これからたくさん咲くようです。
お花の先生がチューリップとかすみ草を生けてくれました。
フリージアも添えてあります。
花、っていいですね。
心が慰められ、きれいになってくるようです。
「被災地支援バザーがありました」 ( 4,7)
またまた、更新をさぼってしまいました。
3月4月は、人の動きも多く、年度末・新年度を迎えるところも多く、バタバタしてしまいました。
「あれから5年、被災地支援バザー」を開催しましたが、実はこれも3月12日土曜日のことでした。
教会の裏庭、もと「こひつじ保育園」の庭を会場におこないました。
万国旗も、保育園で使っていたものです。
これを飾ると、急に賑やかになりますね。
いろんな人が応援に来てくださって、お客さんの相手をしてくださいました。
バザーの「目玉」は、これ。
天然物の、ヤマメです。
◯◯さんが、西米良の山中深く釣りに行かれ、大切に保存しておられたものを、全部提供してくださったのです。
大きいものは一匹一匹竹串に刺して、炭火でじっくりと焼き上げます。
小さいものは丸ごと唐揚げにして販売です。
串焼きも美味しいし、唐揚げも絶品でしたよ。
美味しそうにほおばっているのは、誰でしょうか???
近くの花農家で育てているアジサイの苗も出品されました。
◯◯◯さんが、また、腕をふるって焼きそばを作ってくれました。
300円と書いてあります。私も買いましたが、美味しい上に大盛りで、食べきれないほどでした。
当日は、近くの老人介護施設の職員さんたちで作っているボランティアグループも応援に駆けつけてくださり、スタッフの写真を撮る時、こんなことになってしまいました。
みなさま、ほんとうにありがとうございました。
おかげさまで、いままでのバザーの中では最高の売上、最高の純益が出ました。
これは、私が東北に行って、直接被災者の方々に必要なものを買ってお届けします。
バザーの会場では、東北の友人たちから仕入れた、フカヒレ、サンマ缶、ワカメやフノリ、お菓子なども販売しました。