「日向キリスト教会 新会堂献堂式」 ( 12,8 )
11月23日に、日向キリスト教会の新会堂の献堂式がおこなわれました。
日向教会は、この「こひつじらんど」の、2012年12月のところに、クリスマスの模様が載っています。
旧会堂が古くなってきたのと、3年前に木田牧師が赴任されたので、牧師館も併設したいということから始まったそうです。
教会の看板です。なかなか素敵ですね。
礼拝堂は、もとの会堂と似た雰囲気です。
中央の方は、この教会を長い間支え、祈ってこられた教会代表の植野さんです。
正面には、こんな素敵なデザインのガラスがはめ込んでありました。
お祝いに駆けつけた「仲間たち」です。
会堂建設委員長として、仕えてこられた児島さんのご挨拶。
新会堂をながめながら、「感動だ、感動だ」と言っておられたそうです。
私たちの団体の議長、吉行牧師の祝辞。
木田牧師から、建設会社の代表の方に、感謝状の贈呈です。
お昼には出席者全員にお弁当が出ました。
そして、こんな手作りのお菓子も。
霧島キリスト教会の信徒代表、坂本さんの祝辞。
坂本さんから、木田先生に、お米の贈呈。
「これを食べてがんばってください」
という挨拶。
ずっしりと重いお米のプレゼントに、みんな大喜びしました。
さて、その次は、「ハレルヤ・バンド」中丸さんご一家の演奏です。
2012年のクリスマスでも、拝見したんですが、今回は一味違っていました。
この献堂式のために、「教会においでよ」という、新しい歌を作られたのです。
娘さんがキーボードとボーカル。
お父さんがギターとボーカル。
お母さんは、ボーカルです。
息子さんがパーカッション。
ご家族で・・・素晴らしいですね。
「教会においでよ」という歌。
You-tubeにアップしましたので、ご覧ください。
もうひとつは、2002年の総会で新会堂建設を決議してからの教会の歩みを歌ったものでした。
その時は、前任の森田牧師がおられたのですが、しばらく経ったある日曜日の礼拝後の役員会の時倒れられて、そのまま天に召されたのです。
私も葬儀に出かけましたが、なんと、その前後に相次いで、3人の方が天に召されたのでした。
日向教会は、これからどうなるのだろう、と、私も思いました。
しかし、教会は次の年、隣接する土地を購入、駐車場としました。
そして、みんなの祈りが叶って、3年前に牧師が就任したのです。
その経緯を歌にしておられます。
ほんとうに、感動の歌でした。
会堂前方から、後ろを見たところ。
そして、当日お祝いに駆けつけた人たちです。
日向教会のみなさま、おめでとうございます。
「夜明けパート3」 ( 11,12 )
朝早く起きるのは苦手だったんですが、この頃、日の出も遅くなり、夜が明けるのが待ち遠しいくらいです。
朝の仕事は、畑に行って、キュウリ、ナス、オクラ、ツルムラサキなどなど、朝食用の野菜を採ることです。
先日、畑に向かっているとき、こんな朝焼けに出会いました。
ちょうど、カメラを車に積んでいたので、さっそく写真に撮りました。
朝焼けの中、鳥たちはもう活動を始めたようです。
「刻一刻」ということばがありますが、ほんとうに一瞬で空の様子が変わっていきました。
ちょうど半月でしょうか❓
きょう。という日を、神様がこれほどに彩ってくださる・・・、素晴らしいですね。
マタイの福音書6章に、こんなことばがありました。
だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。
与えられた新しい一日を、心から感謝し、大切にしていきたいと思いました。
「夜明けパート2」 ( 11,3 )
この前、「夜明け」というのを掲載しました。
夜明け、なのに、すでに太陽が出てからだったので、改めて木崎浜に出かけ、出る前からの写真を撮ってきました。
いい天気です。
これなら、美しい日の出が見られそうです。
きょうは、何人か釣り人がいました。
ちょうど満潮みたいで・・・みなさん、早いんですね。
青島と、山の上の灯台の光がくっきりと見えます。
漁火をつけた船が、海岸の近くを走っています。
何を取っているんでしょうか❔
船は、ほんとに岸の近くを走っているみたいですね。
この前いたおじさんが、また、カメラを構えていました。
やがて、放射状に広がる、太陽の光が差してました。
うすい雲の向こう側に、太陽の輪郭が見え始めました。
「おはよう。太陽さん」
出てくると、さすがに眩しい。
目に見える光景と、カメラが捉える画像の間には、かなりのへだたりがあります。
「太陽」は、写真には撮れませんね。
光が入ると、他の部分が黒っぽく写ってしまいます。
いよいよ日の出。
カメラマンのおじさんも、ガンガン、シャッターを切っているはずです。
いよいよ、新しい1日の始まりです。
さて、また、畑に行って、今朝の野菜を取って帰りましょう。
花の命は短くて・・・「酔芙蓉の10時間」 ( 10,28 )
いろいろ調べていると、「酔芙蓉の10時間」というビデオがYou-Tubeにありました。
10月19日に掲載した酔芙蓉、時間の流れとともに色が変わっていくのがよくわかりますよ。
「夜明け」 ( 10,26 )
このごろ、やや、朝が早くなりました。
夜明け前には起きて、お祈りをして、本を読んだり、日曜日のお話の準備などをしています。
そして、明るくなったら畑に行って、ナスとかキュウリなどを採り、妻が準備する朝ごはんの食材にしています。
採れたての野菜で朝食。
なかなか、いいもんですよ。
このまえ、畑を通り抜けて、「木崎浜」に行ってきました。
ちょうど、夜明けでした。
海、って、大きいですね。
清武側の河口が、こんなにちっぽけに見えます。
少しアップにしてみました。
砂浜、波、雲と太陽・・・・長い時間をかけて創られた美しい世界がここにありました。
私は子どもの頃から、ここにたびたび足を運んできました。
・・・あれから、何年経ったのでしょうか。
太陽が、雲の上に姿を現しました。
河口に、カメラを構えているおじさんがいました。
「ずーーーっと」 同じ姿勢で・・・微動だにしないで・・・カメラを覗き込んでいます。
きっと、光の芸術に感動しているんでしょうね。
青島は、まだ、朝もやの中に沈んでいます。
太陽に雲がかかってきました。
・・・ほんとうは、こんな表現は間違いなんでしょう・・・。
太陽と地球は、ましてや太陽と雲の大きさとは比べ物にならないのですよね。
ただ、私の目で見ると、太陽が帽子をかぶっているように見えます。
「どこに立つか」、その視点が大切だと、教えられます。
さて、明るくなってきました。
畑に行って、野菜を取って帰りましょうか。
詩篇19篇にこんな詩があります。
天は神の栄光を物語り/大空は御手の業を示す。
昼は昼に語り伝え/夜は夜に知識を送る。
話すことも、語ることもなく/声は聞こえなくても
その響きは全地に/その言葉は世界の果てに向かう。そこに、神は太陽の幕屋を設けられた。
太陽は、花婿が天蓋から出るように/勇士が喜び勇んで道を走るように
天の果てを出で立ち/天の果てを目指して行く。その熱から隠れうるものはない。
花のいのちは短くて・・酔芙蓉(すいふよう)。 ( 10,19 )
教会に来ておられる山本さんから、
「酔芙蓉が咲いたよー。」
と、お招きをいただきました。
「酔芙蓉」って、初めて聞いた名前です。
・・・もしかすると、以前聞いて忘れたのかも・・・。
とにかく、行ってみると、株はこんな感じで、かなりきつく剪定してありました。
生命力旺盛で、ぐんぐん大きくなるんだそうです。
そして・・・花。
ふしぎです。同じ枝に、違う色の花が咲いています。
どうしたんでしょう。
私はパソコンで、写真の合成もしていますが、そんなことしていませんよ。
接ぎ木したのでもありません。
こんなことって・・・あり・・・❓
山本さんの説明を聞いて納得しました。
この、白い花は、今朝咲いたのだそうです。
それが、昼頃になると、こんな具合にピンクになるんだそうです。
「えーーーっ」
です。
そして・・・、夕方には左の花のように、赤くなってしおれるのだと・・・。
たった一日で、いのちが尽きてしまう花。
見事ですね。
感動ですね。
「酔芙蓉」という名前。
誰がつけたんでしょうか。
朝は、しらふ(白ふ❓)で、お昼ごろから酔が回ってきてピンクになり、夕方には赤くなる・・・お酒飲みがつけたんでしょう・・・という説明でしたが・・・。
花を見ていて、「花の命は短くて苦しきことのみ多かりき」と歌った、林芙美子さんを思い出しました。
芙美子さんの「芙」は、芙蓉の芙です。
彼女が、女性を花にたとえ、楽しい若い時代は短く、苦しいときが多かったみずからの半生をうたったもの、だそうです。
たしかに、そうですね。
そして、聖書の中には、こんな言葉があります。
あなたがたのうちだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。
なぜ、衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。
しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。
今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、信仰の薄い者たちよ。
人が作り上げたもの・・・栄華・文明・・・より、この花の方が美しい。
この花の方が、価値がある、ということですよね。
・・・私には、衝撃的なことば・・・そして、何かを成し遂げなければならない、という呪縛から、開放される言葉でした。
そして、クリスチャンになりました。
さて、山本さんの庭には、こんな花もありました。
これも、色が変わるのかな❓
と、思って聞きましたら、これは、赤、白、ピンクの、色違いの花の鉢を並べて置いてあるのだそうです。
なーんだ、そうだったのか。
これはすごい。
ぴったりくっついています。
デプラデニアという花です。
バラの花も咲いていました。
真っ赤なハイビスカスも。
花って、いいですね。
酔芙蓉に感動していたら、山本さんから、「要りますか❓」と聞かれ、「欲しいです」と即答。
ふた株分けていただいて、我が家の「大草原の小さな畑」の入り口のコーナーの、一番目立つところに植えました。
酔芙蓉はとても強い花なので、2年もすれば花を付けるそうです。
これからが楽しみです。
茄子は踊る。 ( 10,6 )
この前の朝、畑でこんな「茄子」が獲れました。
まずは、ご挨拶でーす。
そして・・・ターン。
おっとっと。
あぶない。よろけないで。
ダンスは、初めてのようでした。
秋はコスモスと・・・。 ( 10,1 )
いよいよ10月。
今年もあと3ヶ月、やがてクリスマス、そして新年がやってきます。
朝夕には涼しい風が通り、鈴虫やコオロギなど、虫たちの合唱が聞こえています。
そして、秋の花は、といえば、コスモス、「秋桜」でしょう。
我が家の「大草原の小さな畑」にも、コスモスが咲き始めました。
去年植えたところに、種が落ちたんでしょうね。
勝手に生えてきて、コスモスの花畑になりました。
勝手に生えてきたものですから、コスモスといっしょにいろんな雑草も伸びてきて、草取りにすこし苦労しましたけど・・・。
真っ赤なコスモスはやはり存在感があります。
ピンクが多い中で、引き締めていますね。
「食欲の秋」ですから、虫たちも咲いたコスモスに集まってきます。
これは何でしょう❓
赤いコスモスにも止まって、朝のお食事をしていましたよ。
白もいいです。
百日草がまだ元気で咲いています。
これは見事なグラデーションですね。
人の手では、とても作り出せません。
「絵にも描けない美しさ」とは、このことを言うのでしょう。
グラデーションの付いていないものもあります。
真っ赤な百日草。
まるで、ボタンの花みたいですね。
少し色の違うもの。
黄色といえば、我が家の小さな畑に、きゅうりの花が咲いています。
ナスもまだ元気に花をつけています。
オクラの花は綺麗です。
おかげで、野菜の少ない夏の食卓に、畑の野菜が途切れることはありませんでした。
台風もあり、大雨、大風がありましたが、神様のみ手の中に守られていることを感謝します。
「 だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。
それはみな、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。
何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。
だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」 新約聖書マタイによる福音書 6章から