9月の畑では・・・( 9.27 )
8月は全国的に猛暑でした。
宮崎では雨が降らなくて、畑の作物は大変でした。
夏、宮崎では、だいたい東風が吹いて、海の上の涼しい空気を運んでくるのですが、ことしは西風が吹き続けました。
熊本・鹿児島方面には雨が降り、九州山脈を越えてきた風は、乾燥してとても温度が高くなったのです。
「フェーン現象」でした。
それで畑の野菜も花も、たいへんでした。これはコスモスです。
この前雨が降ったとき、ふつうの大根と赤大根を蒔きました。
赤大根は順調です。
青首大根も順調です。
いろいろな色の混じっているコスモスは、乾燥で背が高くなれませんでした。
雑草に負けてしまいそう。
こぶりですが、それなりに美しい花をつけています。
乾燥した夏の、一番の被害者は里芋でした。
ずっと車で水を運んでかけてあげましたが・・・、こんな状態です。
左上の里芋は、ついに枯れてしまいました。
同じ芋でも、八頭はやや元気でしたが、本来の大きさからはほど遠い状態ですね。
なかで奮闘したのは、百日草です。
私は名前の由来を知りませんでしたが、たぶん、百日咲くから百日草なんでしょうね。
乾燥の中でも強く、ずっと花を咲かせ、教会の礼拝の時の生け花になりました。
まだ少し干からびた感じはしますが、それでもけなげに咲いています。
花は強い。
姫ヒマワリも強かった。
水は一度もあげませんでした。
苗のうちは乾燥で縮こまっていましたが、夏になって乾燥の中でもぐんぐん伸び、一斉に黄色い花を付け始めました。
落花生も強かった。
よく、砂地でも栽培されるそうですが、乾燥の中でもぐんぐん大きくなりました。
落花生は、花の咲いた茎から「子房柄」というつのみたいなものが出てきます。
そしてその「つの」が地面に入っていって落花生の実になるのです。
ただ今年の夏は、熱と乾燥で地面が固くなり、「子房柄」が土の中に入っていけないのでした。
しかし、先日の雨で、地面が軟らかくなり、ちゃんと着地しました。
いま、一生懸命土の中で、実を付けているところです。
ネギもがんばって生き延びました。
いま食卓をにぎわしています。
左手の、ツルムラサキも元気です。
これも毎日食卓に上っています。
先日キャベツと白菜の苗を買って植えました。
植えた後に雨が降って、ぐんぐん大きくなっています。
ほうれん草も蒔きました。
とても順調です。
オクラは大変強い野菜です。
今年の夏も元気で、花を付け毎日のように収穫がありました。
秋になりましたが、依然として毎日花を付け、毎日収穫です。
このオクラは、葉っぱが細いタイプです。実は、早く取らないと、すぐ大きくなり、固くなってしまいます。
この、葉っぱの丸っこいタイプのオクラは、同じようにたくさん実を付けますが、実が少々大きくなっても大丈夫。
軟らかいままなのです。
これは良かったです。
夏の間雨が降らなくて、息もたえだえだったナスは、秋になって、元気を盛り返してきました。
いよいよ秋ナスのシーズンです。
この前の雨でまた元気になり、毎日花が咲き、毎日収穫があります。
「親の意見とナスの花は、千に一つも無駄がない」
ということわざがあります。
親の意見・・・のほうは、だいぶ価値が下がってきたと思いますが、ナスの花は今でも無駄がありません。
それに、控えめのところがいいですね。
ナスの花は下を向いています。無理矢理横向きにしてみました。
今朝畑に行った帰り、最近のふるさとに、一つの変化がありましたので紹介します。
こんな大きなお店が出来ました。ドラッグストアです。
小袖海岸訪問・あまちゃんの里( 9.21 )
またまた日付が逆になりますが、8月の旅行の時、気仙沼でのボランティアを終えて、岩手県沿岸の被災地を訪問しました。
陸前高田の「奇跡の一本松」を訪ねたり、JMFのメンバーがお世話になった方を訪ねたりしました。
陸前高田の元市街地は、ほんとうに何もなくなっていて、青草が茂っています。
釜石、田老などの状況は少しですが、JMFのサイト、ホットニュースに報告してありますので、ご覧下さい。
http://www.j-m-f.org/hotnews.html
さて、被災地を訪問しながら北上すると、ここも被災地の一つである久慈市があります。
そこに、NHKドラマ「あまちゃん」で出てくる「小袖海岸」があります。
ついでに、寄ってみました。
テレビのお話では、鉄道が通っていて、「袖ヶ浜駅」というのがあり、駅長さんと駅員までいることになっていますが、実在はしません。
ドラマの舞台は、小袖海女センター周辺です。
小袖海岸は、こんな感じの、切り立った崖が続いているところで、土日祭日はたくさんの観光客が押し寄せるので、マイカーではいることは出来ないそうです。
崖っぷちに車一台がやっと通れるほどの道が続いていて、ところどころガードマンが立っていて、片側交互通行をするよう指示しました。
途中で、こんなものがありました。
大きな岩に空洞が出来ているのです。
あんなところに生えている松も見事でした。
「つりがね洞」という看板がありました。
汚れていますが、これも、先の震災の津波で痛んだのでしょう。
いよいよ「あまちゃん」の舞台に到着。
びっくり。
平日なのに、ものすごい人出です。
漁協の人たちでしょうか。要所要所にガードマンが立っていて、駐車場の空いているスペースまで、案内してくれました。
仮設のトイレもあちこちに建てられています。急ごしらえのお店も並んでいます。
こんなものがありましたので、顔だけ見せて、パチリ。
うちのかみさんは、若い海女ちゃんの写真に入って、うれしそうでした。
人がたくさん押し寄せていても、漁師の人たちはいつものように仕事です。
観光客が押し寄せてきて、みなさんは、どういう心境なのでしょうか。
海女センターのまわりには、人だかりが出来ていて、売店も並んでいます。
そして、「海女の巣潜り実演」をやっている、と聞きました。
入場料は、ひとり500円でした。
1時間に一回くらいの間隔でやっているようで、私たちも入場料を払って場所をとり、20分くらい待ちました。
そうしたら、500人くらいが並んだでしょうか。何重にも人垣が出来ました。
待っていると、海女が4人、海に入りました。
上の写真の右手の方に泳いできて、いよいよ素潜りの実演です。
潜るときは、真っ逆様に潜ります。
ダイナミックですね。
4人の内のふたりは、こんな感じの女の子でした。
あとで話を聞くと、夏休みで、高校生がアルバイトでやっている、ということでした。
何度も、海底まで潜ってウニを獲るのは、結構大変みたいでした。
装いは、テレビ番組とほとんど同じ。
はちまきには、「北限の海女」と書いてあります。
一度もぐって、5~6個のウニを獲って上がってきますが、獲ったウニは、また海に帰します。
たぶん、たくさん置いてあるんでしょうね。
テレビの「あまちゃん」の番組の中でも、あの大震災のことが取り上げられていました。
ここも大きな被害を受けて、ようやく復興が始まったところなのです。
「あまちゃん」の番組の最初に出てくる、防波堤と灯台。
たくさんの人が歩いていました。
「あまちゃん」は、9月末で終わるそうですが、あの震災の後、「八重の桜」など、東北関連の番組が多いと思います。
被災地の人たちの現実は、まだまだ厳しいものがあります。
これからもいろいろな機会に、いろいろな形で、支援をしていきたいと思います。
松島マリンピア水族館 ( 9.17 )
また日付が逆になりますが、8月9日に松島に寄りました。
ここも3月11日の東日本大震災で津波の被害を受けたのです。
ただ、松島にはたくさんの島があり、それが防波堤のような役割を果たし、他の地域のような大きな被害にはならなかったそうです。
松島には、マリンピア松島水族館があります。
ここは、日本で2番目に歴史のある水族館だそうで、1927年昭和2年の開設なんだそうです。
ここも3.11の津波で大きな被害を受け、営業休止に追い込まれました。
停電と断水の影響で、一部の魚たちが死にました。
しかし、必死の努力で、震災から40日目の4月23日には営業を再開したそうです。
館内に入ってすぐ迎えてくれたのは、ピラルクー。
アマゾンに生息する、世界最大の淡水魚です。
大きなものは、4メートル、5メートルにもなるとか。
口は、すり鉢のようになっていて、餌をすりつぶして食べるのだとか。
なまずの一種でしょうか。
顔がおもしろい。
体はでかいけど、優しそうなおちょぼ口の持ち主。
名前は・・・・。
とても大きな口を持つ魚。
口が大きく開くんでしょうが、ちょっと「としより」っぽいですね。
岩のあいだに隠れるようにしています。
何か言いたそうな。みんなでぶつぶつ文句を言っているような・・・。
とつぜん、こんな顔 ? が現れてびっくりしました。
えいです。
口は本物の口でしょうが、目のように見える穴は、「鼻」なんでしょうね。
その穴から水を吸い、下の方の5つずつ2列になっている「穴」から、吐き出して呼吸をしているんでしょうね。
それにしてもかわいい。
高足ガニ。
大きいものは2メートルにもなるとか。
甲羅の模様をじっと見ていると、なにか・・・お猿さん・・・に見えてきませんか。
口をとがらして、何か言っているような魚。
同じ水槽の中にいたこの魚は、
「いやー、おれはそうでもないよ。ここの生活に満足しているよ ! ! 」
と言っているように見えませんか。
ふぐの一種、ハリセンボン。
鋭利な歯で、何でも食いちぎってしまいそうです。
こんなものがいました。
くらげの仲間でしょうか。
白く透明なくらげ。
幻想的な美しさです。
くらげって、ほんとうにいろいろな形があるんですね。
それに、いろいろな色があるんですね。見事です。
これは、白っぽいくらげ。
けっこう動き回っていました。
亀さんとイワシ。
魚屋さんで目にするイワシとは全く違って、集団できらきら輝きながら泳ぐ様は見事でした。
イソギンチャク。
白でも、ひとつひとつ個体によって、微妙に色が違いました。
海は、陸上よりもっと、いろいろな種類の生き物がいるのではないか・・・、と考えさせられました。
このようなひとつひとつの生き物を創造された神さまは、すごい芸術家です。
ペンギンたちは水に入ったり出たり、暑そうにしていました。
ほんとうに、今年の夏は暑かった。
ふだん、見ることの少ない水の中。
川や湖や海。
そこにも、多くのいのちがあり、そのいのちと私たちはつながって生かされているのだ、としみじみ感じました。
水族館って、いいと思います。
天橋立 ( 9.16)
日付が逆になりますが、広島に行く前に、天橋立に寄りました。
新潟から北陸道を南下し、敦賀インターで高速をおり、一般道と一部開通している有料道路を走りました。
けっこう距離があって、560キロくらいでした。
天橋立は宮津湾の中に出来た細長い砂丘です。
標高は1メートルあるのでしょうか。
朝、少し早めに起きて、宿に用意してあった自転車を借りました。
一台300円。2時間OKです。
砂丘のまんなかにこんな道が通っています。
もちろん、自動車は入れません。
途中で見つけた標識です。
「雲井の松」と書いてあります。大きな古い松でした。
これは海べりに枝を張る松。
水面すれすれじゃありませんか。
この海は、ほんとうに静かなんですね。
宮崎では、海といえば太平洋ですが、海岸はいつも波を打っています。
こんな海もあるのかと・・・感動でした。
途中で見つけた「夫婦松」。
二人並んで写真を撮れば良かったのですが・・・。
大きさがほぼ同じで、ふたつに分かれているのが、いいなぁ・・・、と思いました。
私たちの今回の旅も、妻と交替で運転して、長距離をこなしましたので、なお感じるところがありました。
「一本の幹から釣り合いのとれた二本が現れ、夫婦のごとく仲良く寄り添う名松」
と説明がありました。
またしばらくはこんな道が続きます。
平成16年の台風23号で、247本の松が倒れ、枯れてしまったそうです。
これはそれらの中でも、ひときわ大きかった「双龍の松」のあったところだそうです。
松は台風・強風には弱いんですね。
20分ほど走ると、「天橋立」の石碑。
この少し先で終わりです。
その向こうには、民家が並んでいました。
帰りに見つけた、相当な樹齢であろう松。
まだまだがんばっている姿が、少し痛々しくもあり、でも勇気づけられるようでもありました。
幹の上の方は折れてしまったのでしょう。
枝も、折れたり、枯れたりしたのでしょう。
しかし、まだ若々しい葉っぱをつけているのです。
天橋立のなかで、たった一本だけ、枯れている松がありました。
近々伐採されるのでしょうね。
赤いテープが巻いてありました。
長い間、ご苦労様でした。十分、あなたの役割を果たしました。
その道を、中学生が自転車で走り抜けていきました。
こちらは、「観光客」でしたから、なんだか突然、日常生活が割り込んできたような、違和感を覚えました。
途中に転がっていた、大きな石。たった一個だけの石。
砂浜に、忽然とこんな大きな石がある、それだけで、この石どこから来て、ここにあるのだろうか・・・と、考えさせられました。
静かな海。
宮津湾。
また、女子中学生らしいふたりが、自転車で追い越していきました。
もしかして、この道は、通学路になっているんでしょうか。??。
魚を釣っている人もおりました。
何か、観光地とはちぐはぐな感じです。
天橋立のすぐそばに、天橋立ビューランド、というのがあります。
車では上れないので、ケーブルカーか、こんなリフトに乗って上がります。
ビューランドに着くと、よく写真で見かける、天橋立の光景が目に飛び込んできました。
「股のぞき台」という台に乗ると、股の下に天橋立を入れることが出来ます。
ちょっと、はいり切れませんでしたが。
宮津湾と天橋立。
日本三景の一つに数えられる、美しい姿です。
帰りもまた、リフトです。
下界に下りると、けっこう暑かったです。
8月の旅は、ボランティアもありました。
友人たちとの再会もありました。
おいしいもの、珍しいものもいただきました。
そして、ちょっぴり観光もさせていただきました。
日本の国って、ほんとうに美しいですね。
この国に生まれて良かったと思います。
広島で、平和を祈る ( 9.6)
先月の旅で、佐渡を訪問した後、宮津市に一泊し、その次の20日は、広島の教会に泊めていただきました。
小高い丘の上にある、落ち着いた和風の建物のある教会です。
次の日、広島教会の石谷先生に「被爆地・広島」を案内していただきました。
ここが、爆心地です。
この上空600メートルで、核爆発が起こったのです。
当時も、島内科病院があったそうですが、原爆が落とされた日、この病院の方たちは、お休みか何かでここにいなかったので被爆を免れ、今もその親族の方が病院をしておられるのだそうです。
すぐ近くに、原爆遺構のドームが見えてきました。
原爆が落とされた日は、とても暑い日だったそうです。
私たちが訪ねた日も暑かったですが、たくさんの人が原爆ドームを訪れていました。
中学生の修学旅行、外国の人たちもたくさんいました。
原爆ドームの屋根は、銅板だったそうですが、原爆の熱で瞬間的に溶けてしまって、こういう姿になったのだそうです。
ことばは語りませんが、はっきりと、原爆の恐ろしさを証言しています。
途中に、戦没学徒出身校という碑がありました。
当時広島には軍の大本営が置かれていたそうです。
そして、その守りのために、全国からたくさんの学生たちが集められていました。
出身県別で見ると、広島県が多いのですが、静岡県からも同じくらいの学校から学生たちが集められていました。
その中に、宮崎県、妻中学校、という文字がありました。
平和を祈る天使像です。
そしてたくさんの千羽鶴が。
太田川にかかる「元安橋」。
あのとき、この川には、水を求める人、火災を逃れる人がたくさん集まっていたとか・・・。
今でも、たくさんの千羽鶴が寄せられている平和記念公園。
元安橋の左手に、「広島市レストハウス」があります。
お土産なども売っていました。
そしてこれは、当時の建物をそのまま修復しながらいまも使っているのだそうです。
いまは「平和公園」となっているこの区画の中で、たった一人だけ、このビルの中で生存者がいたのだそうです。
その人は、このビルの裏側の、地下室の、いちばん隅の方にいたから助かったのだと。
その、助かった人がいた、地下室の「窓」です。
一人だけ助かったということと、この地域にいた人が全部死んでしまったということを考えると、また、核兵器の恐ろしさを感じさせられます。
平和公園は、平和記念資料館と、原爆ドームを一直線に結ぶように配置されています。
毎年ここで、8月6日に平和を願う式典が開かれています。
資料館の下には、このような空洞が作られ、噴水が設置されていますが、この噴水も、あの時人々が、水を求めて歩いたのを象徴しているのだそうです。
原爆資料館に入りました。
資料館にはいると、入り口に「碑」があり、ローマ法王のことばが彫ってありました。
「戦争は人間の仕業です。
戦争は人間の生命を奪います。
戦争は死そのものです。・・・」
資料館の本館には、原爆投下直後の、町の人々を写した写真が掲示してありました。
当時の様子を再現した「蝋人形」。
手から垂れ下がっているのは、皮膚です。
最近、これはあまりにもむごいから、撤去すべきだ、という意見も寄せられているとか・・・。
私は、事実を知ること、直視することは、とても大切だと思います。
広島に落とされた原爆の模型です。
峠三吉、という人の詩。
「ちちをかえせ ははをかえせ
としよりをかえせ こどもをかえせ
わたしをかえせ わたしにつながるにんげんをかえせ
にんげんの にんげんのよのあるかぎり
くずれぬへいわを
へいわをかえせ」
平和公園にある、石碑。
「安らかに眠って下さい。
過ちは
繰返しませぬから」
先の大震災と津波は「天災」だけど、あとに続く福島第一原発の事故は、人災です。
あれから2年半も経っているのに、いまもまだ15万人の人たちが避難生活をしています。
広島で心から、「平和」を祈りました。
そして、福島で原発の放射能で被曝した子どもたち、大人たち、避難しておられる方々の生活が一日も早く再建されるよう、祈ります。
佐渡ぉ・・・ 佐渡へと 草木もなびくよ ( 9.3)
この前の旅の、ひとつの目的は、佐渡にいる神学校の同窓生を訪ねることでした。
青森から南下して一関で一泊。
さらに東北道を南へ行き、郡山で磐越道に乗り西へ、そして新潟港に着きました。
新潟港の埠頭には市営の大きな駐車場があり、そこに車を置きました。
「環境保護のため、できるだけ、車を置いて佐渡に渡ってください」
ということなのだろう、と理解しました。
この、ジェットフォイルを利用すれば、駐車料金は24時間で800円という安さです。
ジェットフォイルは、新潟港と佐渡の両津港を65分で結んでいます。
時速80キロ出るのだそうです。
ふつうのフェリーで渡ると、2時間半です。料金も高い。
乗り込むと間もなく出航。
職員に見送られて、
「行って来まーーす」
途中で、両津港から新潟に向かうジェットフォイルが見えました。
海面から船底が浮き上がっています。
それに、後ろに出来る波の、長いこと・・・。
佐渡が見えてきました。
そして新潟へ向かうフェリーも姿を見せました。
さっきのジェットフォイルと比べると、スピードは全然違います。
両津港には原山先生が迎えに来てくれていて、28年ぶりの再会を喜びました。
教会につくと、奥様が迎えてくれましたが、奥様とは38年ぶりでした。
入り口の掲示板には、奥様が書かれたという翌日の礼拝の案内が・・・・・。
日本同盟キリスト教団、佐渡金井キリスト教会です。
59年前にスイスから来た、パウル・シェールという宣教師が始めた、歴史のある教会だそうです。
礼拝堂の部分は、2年半くらい前に新築したばかりです。
教会のすぐ手前には水田があります。
そして、標高が1171.9メートルの金北山から流れてくるきれいな、冷たい水が田んぼを潤しています。
教会のすぐそばにこんな家がありました。
まわりは全部農家なのだそうです。
真新しい礼拝堂の中。
採光もよく考えられていて、落ち着いた雰囲気です。
明日の礼拝のために、掃除もきれいにしてありました。
玄関を入ると、右側に額が飾ってあります。
「謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに忍び合い、 平和のきずなで結ばれて御霊の一致を熱心に保ちなさい。」
というエペソ4章2節のことばが書かれてありました。
この教会には、専業農家の方が5家族おられるそうです。
農村で福音を伝えていくのには、いろいろな困難があったのでしょう。
庭には、なんと、リンゴがありました。
そろそろ色づいて来ています。
原山先生がこちらに赴任してきたとき植えたとか・・・。
南国生まれの私には、珍しいものでした。
教会のまわりに少しだけ土の部分がありますが、そこに桃も植えられていました。
さらに、ナスとトマトが植えてありました。
ことしはナスがたくさん収穫できたそうです。
大きな見事なナスでした。
翌朝、近所の猫でしょうか、近づいてきました。
原山先生は朝早く起きて、よく働きます。
トマトとナスと、桃と・・・、納骨堂のそばにはいくつもの鉢植えがあり、よく手入れが行き届いていました。
前の農家の庭先に咲いていた花です。
これは、アロエの花でしょう。
ケイトウの花が、朝のつゆを受けて、真っ赤に咲いていました。
礼拝の様子です。
「我ら、途上にあり」
というテーマで、今までの証を交えながら、お話をさせていただきました。
子どももいて、中には2ヶ月くらいの赤ちゃん連れのお母さんもいました。
午後は、原山先生が、
「せっかく佐渡に来たんだから」、
と、金山とトキを見に連れていってくれました。
これは途中の町並みですが、2階建ての家が軒を連ねていて、珍しい風景です。
金山に着くと、正面の山にびっくり。
あれは、金の、露天掘りの跡だそうです。
あそこが、きんきらきんに、光っていたのでしょうか。
露天掘りはそれほど続かなくて、そのうち地下を掘り進むことになったそうです。
これは、江戸時代に掘られた「宗太夫抗」の入り口です。
この日はけっこう暑かったのですが、坑道の中にはいると、冷たーーい空気が。
中には江戸時代の金採掘の様子が、人形で示してありました。
なかには、機械仕掛けのものもあり、ギーコギーコと、音までしていました。
これは坑道の中の休憩所。
ここで働く人は、けっこう待遇が良かったと書いてありました。
「無宿人」たちが江戸から送られた、という話を聞いていましたが、それほど多くはなかったのだそうですね。
坑道を出ると、外には資料館がありました。
そこにあった、江戸時代の、大判。
本物です。
しかし、純度はそれほど高くなかったんですね。
そして、金の延べ棒のつかみ取りコーナー。
あの穴から手を入れて、抜き取った人には記念品を差し上げます、と。
私もチャレンジしてみましたが、これだけで15キロくらい。
とてもとても重くて、それに穴が小さくて、出せませんでした。
そして、トキセンターへ。
トキは大切に保護されていて、特別なガラスで人間たちはトキからは見えないようにされています。
それでも、羽を広げたときの、あの羽の色を、「トキ色」と言うんだそうです。
きれいですね。
こんな看板が・・・。
おみやげ店で原山先生が、ソフトクリームを買ってきてくれました。
外に出ると、田んぼが広がっています。
その中に、蓮の池がありました。
ここは、自然に帰したトキが、生息している地域です。
この近くの農家の人たちはトキに協力して、出来るだけ農薬を使わないようにしているそうです。
さらに、夏だけでなく冬でもトキが餌を獲ることが出来るよう、田圃に水を張ったり、いろいろな工夫をしているとか・・・。
夕方の5時頃、このあたりにトキが飛んでくるよ、と教えられて行ってみましたが、遭遇しませんでした。
出発の朝、教会の玄関で、記念撮影。
これは42年前、神学校に入学したときに撮った写真。
どれが誰だか、わかりますか。
この中ですでに、ふたりは天国に凱旋しています。
原山先生に、両津港まで送ってもらいました。
あの、「おけさばし」を通ってジェットフォイルに乗ります。
私たちが乗るのは、「すいせい」です。
船の上から、こんなものが見えました。
佐渡は、能の里だそうです。そういえば、途中に「能楽堂」がありました。
佐渡汽船の方に見送られて、佐渡よ、さようなら。
青い森に囲まれている青森県 ( 9.2)
先の旅行では、八戸に一泊したあと、青森の、まず十和田湖に向かいました。
その途中に、奥入瀬 (おいらせ、と読むんだそうです) 渓谷があります。
奥入瀬が近づくと、いよいよ森にはいった、という感じで、道路も木陰に覆われるようになりました。
それまで、けっこう暑かったのに、外気温が24度くらいに下がってきました。
奥入瀬では、道沿いに渓流が流れていて・・・渓流沿いに道を作ったんでしょうね・・・川のせせらぎも聞こえてきて、ほんとうに涼しくなります。
あるところはこんなふうに、大きな水音を立てて流れています。
そういうところの岸辺に立つと、川面を吹いてくる風が、なお心地よいです。
上流が近づくと、流れがゆるやかになりました。
そして、十和田湖です。
かつて、十和田湖には食べられる魚は一匹もいませんでした。
明治36年に、和井内貞行氏が、ひめますの卵を譲り受けて養殖に成功し、十和田湖に放流しました。
2年後の秋、和井内氏は、風もないのに湖面にさざ波が立っているのを発見しました。
放流したヒメマスが産卵のために、浅瀬に帰ってきていたのです。
私はこの話を小学校の・・・たしか国語の教科書で読んで、・・・いつか十和田湖に行ってみたいと思っていたのです。
岸辺の食堂で、ひめます定食を注文しました。
とてもおいしかったです。
十和田湖は静かな湖ですが、遊覧船もあり、時間があればゆっくりと過ごすこともできます。
小さな島にはえている松の木も、絵になりますね。
十和田湖畔には、彫刻家であり、詩人でもある高村光太郎が作った「乙女の像」がありました。
これは光太郎の最後の作品だそうですが、モデルは、夫人の智恵子さんなのだそうです。
台座には黒い御影石が使われていますが、智恵子夫人の故郷、福島のものだそうです。
十和田湖を出て八甲田山の麓の途中で、こんなに美しい林がありました。
「ブナ」の林です。
道の両側にずーーっとブナ林が続いていて、それは見事でした。
車を止めて、林の中にはいると、別世界に来たように思われます。
空からは、やわらかい薄緑色の光が射してきて、木々を通り抜けてくる風が、やわらかい、おいしい空気を運んできます。
カサ、カサと音がして、もう何百年も積もってきたであろう落ち葉の上をしばらく歩きました。
今回の東北訪問で出会った、いちばん美しい景色でした。
まわりは全部こういう景色なのですが、私のカメラではとてもはいりきりません。
また、ぜひ行ってみたいところです。
しばらく進むと、八甲田山が見えてきました。
ここは途中の、「睡蓮池」というところから撮った八甲田山です。
睡蓮池は小さな池ですが、名前の通り睡蓮の花が咲いていました。
池のほとりに咲いていた花。
池のほとりにあった「ふき」。
でかい。
青森には、神学校時代の同窓がいます。
彼が奉仕している、青森バプテスト教会です。
青森港の近くにあり、この付近の町はかつてはとても賑わっていたそうですが、青函連絡船が廃止され、人口が減ってきているそうです。
牧師の佐々木先生と奥様です。
青森で泊まったホテルには、「ねぶた」の飾り物がありました。
「こんど来るときは、ねぶたの期間中においでよ」
と、佐々木先生に誘われました。
青森・・・青い森に包まれ、はぐくまれているから青森だったんだ、と思いました。