「みなぎる夏」 ( 6,25)
最近、畑ではいろんな花が咲いて、教会の礼拝ではグラジオラスをたくさん生花に使っていただいています。
ほかに、百日草も元気、さらに勝手に生えたヒマワリが見事な花を咲かせ始めました。お花っていいですね。
それもうれしいですが、「花より団子」派の私はこれに感動です。
おととし、スイカは、雌花がぜんぜん付かなくて全滅、去年もたった10個ほどでした。
この畑はスイカには合わないのかな…と思案していましたが、今年は天気が良かったせいでしょうか、上の写真のような具合です。
甘いスイカには「苦い思い出」があります。
小学生の頃友だちと、祖父の(我が家の)スイカ畑で、つるのついたままのスイカにそっとナイフでお尻に穴を開け、そこから手を突っ込んで食べたことがあります。
その後犯人がわかり祖父に捕まり、ひどくお尻を叩かれ、蔵の中に閉じ込められました。
その時、「泥棒を捕まえてみれば、うちの子じゃがぁ・・・」と、祖父が泣いていたのが、今も心を刺します。
暑くて汗が出、のどが渇く夏。夏を創られた神様は、私たちが元気で過ごすために、水気たっぷりの夏の作物を備えてくださいました。
気前のいい神様に感謝です。
気前のいい母にも感謝です。
「食った勢い、飲んだ勢いでやらにゃー。ほら、食え !! 」
よく食べさせてくれた母、そして、よく働く母でした。
だから94歳まで元気で過ごせたのでしょう。
私も後をついていきたい、と思います。
「事故っちゃいました」 ( 6,13)
先日、とても忙しい1日がありました。
私たちの団体は、「日本メノナイト・キリスト教会会議」と言いますが、その執行委員会というのと、責任役員会というのと、博多宣教委員会というのが、3つ、立て続けに開かれたのです。
大分別府など、遠方から来る人もいるので、集まったついでにいろいろやってしまおう、ということでした。
私はその3つに全部出なくてはならず、午後4時半頃までかかって終わった時は、
「くたびれたぁ・・、さぁ、温泉にでも行こう」
と、家内をつれて出かけ、ちょうどシャンプーが切れていたので、近くの生協のお店に行きました。
右上の建物が生協で、道路を挟んで広い駐車場があります。
私はほぼ真ん中あたりの、ふたつある障害者用の駐車場の右側に頭の方から突っ込んで、止めました。
買い物を済ませて、ゆるゆるとバックした時、
「ガチャーン」
降りてみると、バンパーの左側がこすれ、小さなヒビが入り、隙間ができていました。
相手の車は、給油口のあたりがこすれています。
幸い、大きな事故ではありませんでした。
何よりも、人身事故ではなかったので、ホッとしました。
相手の方は、40歳くらいの奥様で、丁寧に不注意を詫びておられました。
私も、私の方こそ、不注意で・・・と、お詫びしました。
それでも、事故は事故ですから、警察に連絡し、現場検証をしていただき、双方の保険会社に連絡をして、今後の修理について、話し合いをしてもらわなければなりませんでした。
この写真は、事故の後、現場検証の時のもので、小さな部品が落ちているのは、ちょうどそこが衝突した場所なのです。
約1時間かかって事故処理が終わり、あとは双方の保険会社が話し合って「過失割合」を決める、ということでした。
それぞれに車を修理し、その必要経費を、過失割合に従い、加入している保険で負担するのだそうです。
相手の方はとてもいい人でしたから、トラブルにはならないと思いましたが、私の心の中では、「相手の方が悪い」「少なくとも、私より悪い」
と考えていました。
警察の方は、私は後方不注意、相手は前方不注意ですね、と言っていましたので、駐車場の中だから、最悪でも、五分五分だよな・・・と。
そのあと温泉に浸かりながら、事故のことをいろいろと振り返り、考えていると・・・相手の立場になって考えてみると・・・。
いやー、これは私の方が悪かったんじゃないだろうか、と思うようになってきたのです。
そして、2週間ほどして保険会社から伝えられた「過失割合」は、私が7、相手が3でした。
このような事故の場合の、基本的な過失割合なんだそうです。
納得できました。
そして、駐車場に車を入れる場合は、今後は必ず、バックで入れるようにするべきだ、と反省しました。
車の修理も終わり、後ろのバンパーは、新品になりました。
私の車は買ってから5年経っていますし、荷物の積み下ろしなどで、かなり傷が付いていたバンパーは、見違えるように立派になって帰ってきました。
感謝です。
事故を起こしたことによる追加の保険料と、車両保険に入っていなかったので、自己負担分がいくらかありましたが、それを合わせても、バンパーを新品に交換するよりは少ない負担ですみました。
事故は良くないことですが、聖書にあるように、「万事相働きて益となる」と教えられたような気持ちです。
神様、感謝します。
「山本さんちのバラ」 ( 5,12)
この前の土曜日に、山本さんから電話があり、
「今年はバラが咲いたので、見に来ませんか ? 」
さっそく、カメラを持って出かけました。
「今年は・・・」と言われるのには訳があって、去年はあまり良くなかったのだそうです。
ちょうど薄日の差すいい時間帯で、バラが輝いていました。
これは八重咲きで、しかも紅白の模様が入っています。
清楚な、白バラ。
美しいです。
庭にはいろいろなバラが咲き競っていました。
少し小柄なピンクのバラ、
これは、少し大きめの、ピンク。
花びらのふちから、少しずつ淡い色になっているグラデーションが素晴らしい。
全体がほぼ同じピンクのものもありました。
そして、オレンジ色が鮮やかなバラ。
花びらが「一重っぽい」、個性的なバラ。
赤、というか、ピンクというか、言葉では言い表せない色のバラです。
バラ自身は、自分が何色なのか、そんなことは考えてもいないでしょうね。
これも、白いバラ。
重厚な重みのある白ですね。
咲き始めたつぼみのバラ。
私はこれが大好きです。
豪華なドレスのようなバラ。
きれいです。
ひとえのバラ。
グラデーションの位置が独特ですね。
鼻を近づけてみると、比較的色の濃いバラから、香りがしています。
写真に撮った後、山本さんはハサミを持ってきて、咲き誇っている、いま撮ったばかりのバラたちを「パチン、パチン」と切り始められました。
「えっ、もったいない・・・」と言ったのですが、
「花はすぐしおれるのですよ」
と。
それが、日曜日の礼拝を飾ってくれました。
イエス様のことばにありました。
野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。
しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。
今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、信仰の薄い者たちよ。
神様に、感謝します。
「熊本地震から1年、被災地訪問」 ( 4,14)
今年のイースターは、4月16日ですが、奇しくも昨年のこの日、熊本地方を震度7の本震が襲ったのでした。
昨年12月にも訪問した、熊本市の帯山聖書教会を訪ね、先日行いましたバザーの益金を、義援金としてお渡ししてきました。
この教会は、一見無事のように見えますが、「半壊・危険」という診断でした。
風呂場は、こんな状態でした。建物のあちこちにヒビが入っています。
左は、帯山聖書教会の隈上正敏牧師です。
会堂を建て直さなければなりませんが、地震後の建築費の高騰があって、しばらくはここで礼拝や集会をしながら様子を見、2年後くらいに建築に入りたい、ということでした。祝福を祈ります。
そのあと、西原村に小島浩子さんを訪ねました。
当日は、土砂降りの雨で、この写真は前に撮ったものです。
小島さんは西原村の仮設団地、A・B・C・Dの、集会場に、下の写真のようなイースターをお祝いするお菓子や可愛いお人形と、メッセージカードを準備していました。
そして、私たち夫婦に、これを書いて欲しい、という依頼でした。
イエス・キリストの復活と、西原村の「復興」を結びつけて、メッセージを書かせていただきました。
このメッセージカードが届く、西原村の仮設住宅です。
集会場ができて、その裏に小さな遊園地ができていました。
仮設の子どもたちがここで遊ぶんでしょうね。
集会場は大きな建物です。
集会場に連なって、仮設の商店が3軒、並んでいました。
どうやら、花屋さんと食料品店、それに散髪屋さんのようです。
おばあちゃんが買い物袋を下げて出てきました。
散髪屋さんも見えます。
翌日も雨でしたが、益城町を訪問しました。
最初に、何度かお世話になったボランティアセンターの「跡地」に行ってみましたら・・・なんと、まだやっていました。
週末だけ3日間の「営業」のようです。
前と同じ場所に、前と同じようにテントが建っていました。
どこからか贈られたものでしょう。
「災害復旧支援無料レンタカー」の軽トラが何台も並んでいました。
益城町木山の、以前ボランティアに行った場所です。
奥の方に、片付けの手伝いをした、地震で壊れた盆栽がまだ残っていました。
ここでは、主に、ブロック塀を壊して撤去する仕事をさせていただきましたが、家屋は綺麗に撤去されて新築工事が始まっていました。
熊本地震ではいちばん被害の大きかった地域です。
壊れた家が連なっていましたが、いまは広い更地になっています。
この場所は報道でもよく使われたところです。
私たちも何度かここを訪問しました。
これは、去年の写真です。
雨の中で、解体作業をしていました。
車が来て、なにやら作業員と話をしていました。
寄って行って、見家の持ち主と話をすることができました。
「今は仮設に入っているが、この場所に家を建てたい。自分たちはもう先がないので、小さな家を建てて、ここで死にたい。」
と話しておられました。
ちなみに、この地区はほとんどが専業農家だったけれども、住宅も作業をする小屋も農具も壊れたので、なにがしかの勤めに出る人が増えた。兼業農家ばかりになってしまった、と話していました。
益城町の文化会館です。
この駐車場にかつて、いくつかのテントが建っていました。
そして、熊本東聖書キリスト教会があった場所です。
元の地主さんでしょうか。小さな住宅が完成間近でした。
益城町辻の城の、私たちがボランティアに行った場所です。
「すくすく保育園」があった場所です。
左側の道路に盛り土が散乱して、通行の邪魔になっていたので、それを土嚢に詰めて積み上げたのでした。
暑い時期で、たいへんな作業でした。
建物はすっかり撤去され、1年経って、土嚢がボロボロになり、消えて ? います。
土嚢の袋、というのは、3ヶ月もすると劣化してしまうんですね。
ブルーシートを屋根にかけて、土嚢袋に小石を入れて「重し」にしていたところ、3ヶ月くらいして屋根から小石が降ってきた、という話を聞いたことがあります。
1年前のまま、放置してある家もありました。
「瓦を取るな」と看板が出ていた家です。
保育園の隣の家は、見たところどこも悪くないようですが・・・。
「危険」の張り紙が。
誰もいないようでした。
熊本は雨でしたが、宮崎県にはいると雲が切れてきました。
そして、霧島サービスエリアでは、桜と若葉が迎えてくれました。
被災地の1日も早い復興と、被災者の皆様のご健康を祈ります。
「咲いた、咲いた、チューリップの花が」 ( 4,7)
春は桜、ですが、どうしたことでしょう。ここ宮崎はまだまだで、桜の満開は8日になるだろう、ということです。
我が家の畑に、少しばかりチューリップを植えています。
満開になったら、礼拝を飾る花にしているのです。
これは、3月18日の、ようやく咲き始めた頃のチューリップ。
まだ、小さいでしょう。
2週間経って、少しずつ大きくなってきました。
チューリップの花は、朝開いて、夕方になると花を閉じるのです。
それを繰り返していくうちに、ぐんぐん大きくなってくるんですよ。
雨がやんだあと、陽が差してきました。
ようやく、花らしくなってきました。
春の陽を受けて、輝くチューリップ、心が温まってくるようです。
黄色の花もありました。
こんな色のも。
もう、だいぶ大きくなりれましたが、きょうは雨だったので、こんなふうに花を閉じていました。
始めの頃に比べると、ずいぶん背が高くなったでしょう。
最後は、ネギ坊主。
「みどり色」って、なんかホッとしますね。
聖書の言葉
あなたがたのうちだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。
なぜ、衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。
しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。
今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか。
「東京、おのぼりさん」 ( 4,1)
3月下旬に、東京でふたつの会議があり、2週連続で東京と千葉に行ってきました。
2回目は、1日休みを入れ、ちょうど大学進学で東京に来ていた孫娘と、息子の一人と連れ立って、六本木界隈を歩くことにしてみました。
話に聞くばかりで見たことのない「六本木ヒルズ」に行ってみよう、ということになりました。
見ると、やはり、でかいのに圧倒されます。
昔、バベルの塔を作った人たちの気持ちが、わかるような気がしました。
「どうだ、すごいだろう・・・」と。
実は、ここの52階にある森美術館で、「N・S・ハルシャ展」というのをやっているのです。
入り口には、こんなものが・・・。
チューリップの花壇を背景に、こんなものも。
ハルシャ、という方は、インドの人でした。
入り口です。
入場料は、大人1600円なり。
こんな絵が。
こんな絵も。
実は、この展覧会、写真撮影オーケーでした。
ただし、ストロボは禁止。
これはストロボ撮影だったので、さっそく、係りの人から注意されました。
後の写真は、暗いために、ピンボケばかりです。
よろしくお願いします。
人が眠っている姿がたくさん描かれています。
頭の上が「火事」になっている人もいました。
インドの農民が使う「鋤」に、ビジネスマンのスーツケースが突き刺さっています。
農業がすたれていくのを嘆いているのでしょうか。
これは、とてもたくさんの人が描かれています。
ところどころ、爆発が起こっているのが、気になります。
これは、ひとつの部屋の、床に絵が描いてあり、そこに寝ころがって、天井の鏡に映った自分の姿を見るようになっていました。
自分も、作品の一部になったような気分でした。
おもしろい。
いくつもの頭が、横につながっています。
さて、何を・・・・。
インドの人たちの標準的な食事だそうです。
Tシャツがたくさんあります。
世界中のTシャツのようでした。
まんなかあたりに「平成」の文字が見えます。
玄関に置いてあったのと同じデザインの猿。
不思議なことに、シッポが全部つながっているのです。
ある部屋には、中央にこんなものが一つだけありました。
手前と向こう側にひとつずつ椅子が置いてあります。
これはまた巨大な絵。
そしてこれは、その「部分」なのです。巨大、かつ、繊細な絵。
描くのにどのくらいの時間がかかったのでしょうか。
想像もつきません。
一つの部屋全体が作品になっていました。
国連加盟国193カ国を象徴しているらしいです。
ミシン一台が1カ国で、小さな国旗が置いてあります。
しかし、国旗の裏は全部白。
見かけは違っても、みんな同じだ、という主張らしいです。
色とりどりの糸で、全部、繋がっていました。
しかし、この作品を設営するのは、とても大変だったとか・・・。
東京で、こころに残った光景をひとつ。
中野坂上の交差点で、朝、男の人がゴミを拾っていました。
どうやら、ボランティアのようでした。
日本は、まだまだ、捨てたものではない、と思います。