「熊本被災地支援バザー」 (3,14)
3月9日土曜日、午前11時から、熊本地震被災地支援バザーを開催しました。
天気予報は雨だったので、心配しましたが、当日は薄日の差す絶好の日和でした。
いちばんの目玉は、今年も天然物の「やまめ」です。
山本さんが西米良の渓流に出かけて釣って来られたもので、大きいのは塩焼きに、小ぶりのものは、唐揚げにして販売します。
串もそのために特別に作りましたよ。
いい色に焼けているでしょう。
いちばんに、ごちそうになりました。
「うまい」
一つの部屋を「桜カフェ」にしました。
中を綺麗に飾り付けて、コーヒーとおいしいケーキが出ます。
コーヒーはこの二人が出してくれました。
こちらは、焼き鳥コーナーです。
前日に大量に仕込みましたが、全部さばけてしまいました。
炭火で焼く焼き鳥の味は格別でしたよ。
その隣は、お惣菜コーナー。
教会のご婦人たちが、それぞれ腕によりをかけて作ったお惣菜を、パックに入れて販売しました。
ちょうどお昼前でもあり、おいしいのと、安いので、たちまち売り切れてしまいました。
手芸品コーナーです。丹精込めて作ってくださったものばかりで、それが、また安い。
全部、売れてしまいました。
「だご汁」と「「ぜんざい」と「カレーライス」のコーナーです。
だご汁は、おいしくて、一杯50円、お代わりもできるとあって、あっという間に、売り切れてしまいました。
片付けまで終わって、スタッフで記念撮影。
近くの老人福祉施設「ゴールデンレイク」からも応援に駆けつけてくださって、ありがとうございました。
楽しい、有意義なバザーでした。
皆様、ご苦労様でした。
「手の祈り」 (2.19)
神様、あなたが私にくださった、このふたつの手を感謝します。
大きすぎず、小さすぎず、ぴったりの大きさで、長い腕の先にくっついていて、頭のてっぺんから足のつま先まで触れ、あなたからお預かりしているこの体を世話できます。
手は強いので、握り締めればげんこつとなり、鍬を握れば畑を耕し、金槌を握れば石をも砕くことができます。
どうかこの手で、人を傷つけることのないよう、ましてや罪のために用いないよう、しっかりとブレーキをかけてください。
手は良く働きます。ギターを奏で、フルートを吹き、あなたを賛美できることを感謝します。
賛美でこころが満たされ、あなたのみことばとみ顔を想い、みんなと一緒に賛美すれば、み国の喜びに満たされます。感謝です。
手を開き、ふたつの手を合わせれば、祈りの手となります。
あの人のこと、この人のこと、ひとりひとり指折り数えながら祈れば、あなたが私にたくさんの信仰の家族を、そして同労者を備えてくださっていることに気づかされ、改めて感謝します。
優しく手を差し出し、握手すれば、ほかの人とこころを繋ぐことができます。
神様、この手をあなたのみわざ、あなたのご栄光のために用いてください。
わたしの手の中にあるもの、それはあなたからお預かりしたものですから、あなたの愛と憐れみが、きょう、この手を通して現れるよう、使ってください。
この手をお献げします。
「いのちの代価」 (2.18)
「心のひろば」から 佐藤省三
わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。
新約聖書ヨハネ福音書15章12節
数年前、木花中学校の同窓会「といち会」に出席した時、K君が、本を出版したので、みんなに読んでもらいたい、と言う。
みんな、「へえーっ !! 」と驚いて見ると、テーブルの上に、本がたくさん積んであり、こんな話をした。
妻が乳がんの診断を受け、中村町の病院で治療をしている時、医療事故で亡くなった。裁判をして勝訴したけど、このお金で旅行に行く気にもならない。車を買う気にもならない。いろいろ考えた末、こういう悲しい事故があったことを、たくさんの人に知ってもらいたい。そして二度とこんな事故を起こして欲しくない、という願いをこめて、本を出すことにしたのだという。
その裁判の記録がネット上にもありました。
『宮崎市の女性=当時(**)=が乳がん治療中に死亡したのは、副作用の検査を十分にせず抗がん剤を投与されたことが原因として、夫など遺族が医療法人**会(宮崎市、**理事長)を相手取り慰謝料など約8700万円を求めた訴訟で、宮崎地裁は16日、病院側の過失を認め約4900万円の支払いを命じた。
判決理由で**裁判長は「高齢で血糖値の高かった女性は、抗がん剤による副作用が起きる危険性が高かった。十分な検査をしないまま抗がん剤を投与した医師の行為は注意義務違反に該当」と指摘。「医師の行為と死亡には相当の因果関係がある」と判断した。』
しばらくして、その病院は名前が変わり、新しい病院になっていたのです。
「いくらお金をもらっても、妻は帰ってこないんだよ」。気立ての優しいK君は、寂しそうに言う。みんな、「読む、読む」と言って本をもらい、私もいただいて読んだ。
2月10日日曜日、私たち夫婦はその日夕方から開かれる博多集会に行くため、朝早く出て、熊本インター近くの「光の森聖書教会」の朝の礼拝に出席した。
その教会の牧師はベー先生と言い、20年ほど前、宮崎大学に韓国から留学生として来ていて、私たちの教会に出席していた。しばらくして結婚することになり、わたしは韓国まで行って式に参列した。彼は卒業後韓国に帰り、神学校に行き、牧師になり、日本の、しかも熊本に来ていたのである。
先日、久しぶりに手紙をいただき、電話して、「こんど礼拝に伺います」ということになった。ベー先生夫妻には3人の息子さんもおられ、新会堂も建築中で、若々しい力のみなぎる素敵な教会、そして礼拝だった。
礼拝のとき、ひとりお年寄りがおられ・・・どこかで、見たような・・・気がするのだけれどわからない。その方も私を分からないらしい。
礼拝が終わって皆さんに挨拶をした後、近づいて来られて、
「明戸です」と。
「えーーっ。明戸先輩 !! 」
46年という時間は、会ってもすぐには分からなくなるほどの、長い長い時間なんですね。
私の卒業した東京キリスト教学園の、2年先輩。歌の上手な、柔和な、みんなから、「イエス様のようだ」と言われ、尊敬されていた素敵な先輩でした。先輩は卒業後結婚し、熊本で伝道していたのです。
ところが、1995年、奥様が46歳の時、軽い糖尿病になり、人工透析を始められた。ある日、透析の最中に、担当の研修医が薬を間違い、血栓ができ、脳梗塞になり、意識不明になったのです。その日は学会とかいろいろあり、専門医を始め医者がみんな出かけていて、その研修医が一人でたくさんの患者をみていたのです。すぐに救急病院に搬送しましたが、すでに心肺停止、手遅れでした。
明らかな医療事故で、先輩は苦しまれました。訴訟に持ち込めば、間違いなく勝てる。このままでは悔しすぎる。親族や友人たちからそう勧められました。
しかし、先輩は祈り、主のみこころを求め、若い研修医のこと、医師を目指している「医者の卵」の将来を考え・・・、「訴えない」という決断をしたのです。
熊本地震発生後、先輩自身も体調を崩し、オストメイトになられ、牧師を引退。今は娘さんの家族と同居。近くにこの教会ができ、出席していたのです。
「神様、こんなに悲しいことってあるんですか・・・」と、私は思いましたが、先輩は、意外にあっけらかんとして、「今年はカナダに賛美の奉仕に行くんだよ」と嬉しそうに言うのです。そして、写真でもピース。
イエス・キリストは十字架におかかりになる前、弟子たちに語られました。「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい」、と。
「わたしが愛したように」
というのは、十字架にかかる、
身代わりになる、いのちを差し出すこと。赦すこと、と言っていいでしょうか。
私も親やきょうだい、たく
さんの人に愛され、赦され、
支えられて今がある、と思い
ました。
「もちつき大会」 (1.17)
新年がどんどん進んでいきます。
年が変わると、教会では新年度の総会の準備が始まります。
私たちが加盟している団体「日本メノナイト・キリスト教会会議」の総会も近づいて、すこし忙しくしています。
去年1年のことをまとめたり、振り返ったり、改めて感謝したり・・・という作業ですが、去年のひとつのイベントは、12月30日のもちつき大会でした。
2018年は6月までに親戚の中で3組の新婚さんが生まれ、まことにおめでたい年でした。
それで、そのお祝いも兼ねてもちつき大会となったのです。
東京、福岡、熊本、宮崎県内から、新規加入(?)の花嫁さん3名も加わり、こんな具合になりました。
もちつきは、いろいろなやり方がありますが、うちではこんな・・・伝統的な方法でやっています。
庭にかまどを用意し、たきぎを燃やしてもち米を蒸します。
もち米は前日から洗って湿しておいたものです。
釜の水が沸騰してせいろを乗せ、こんな具合に湯気が上がり始めたら、米が蒸れたしるしです。
蒸すのはだいたい1時間でしょうか。
杵はよく洗って、水に浸しておきます。杵には私が手作りのものもあります。杵には、赤松の木がいいんだそうです。
青竹の葉っぱがありますが、あれは私が作ることになっていて、臼の中の乾燥を防ぐための小道具なんですよ。
いよいよもち米を入れます。
しばらくこねて、米が飛び散らないようにします。
そして、餅つきの開始です。
ついて、ついて、息が上がった頃にいい餅になっています。
後半になって、わざとペースを速くしたり・・・。
これが楽しい。
こんな具合にして、つけた餅は、棒で挙げるんですが、よく粘るのですんなりとはいきません。3人がかりで、女性軍が待つ板の上に着地です。
そして、丸いおもちになりました。
あんこも用意してあって、つきたての餅にいれてほおばります。
これがうまい。
餅つきは楽しい。
子どもたちも参加して、女の人たちも入って、みんなで楽しい行事を受け継いでくれるといいなぁ、という願いもあります。
餅つきが終わったら、それぞれ腕によりをかけて作ったご馳走を広げ、それぞれの家族にあった1年の報告をして、喜び、痛みを分かち合い、慰め合い、励ましあって、楽しい会食でした。
ことしも良い年でありますように。
主の祝福を祈ります。
「2019年、正月です。」 (1.1)
明けましておめでとうございます。
新しい年が始まりました。
今年もよろしくお願いします。
去年の暮れは、主イエス・キリストのご降誕を祝い、みんなで素敵なクリスマスを過ごしました。
クリスマスの歌を、数ヶ月練習してきましたので、ハンドベルの演奏がありました。素敵な音色でした。
次は、フルートとオカリナで、アメイジンググレイスの賛美でした。
それぞれで練習し、何回か合わせてようやくここにこぎつけました。
そして、日本語、韓国語、英語のはいったクリスマスの賛美です。
みんなが揃って練習するのはなかなか難しかったですが、さすがに、いつも歌っておられる皆さん。すぐ美しいハーモニーが生まれましたよ。
それぞれに用意してきた、ケーキ・果物など、ごちそうさまでした。